死の恐怖を克服せんがために、死と向き合うという事 ~仏道に入るということの本当の意味~

宮本章太郎

宮本章太郎

テーマ:思考と考察・生き方を学ぶ

人の悩みや心理学に携わる中で
生きる事はもちろん、死についても考える事があります。

死に向き合わない事は生きる事を疎かにしているという事であり
人生というものをより良く、より深く生きるためには、やはり死についても向き合わなければなりません。

例えば無差別に行われるテロのような野蛮な殺戮行為は
いかに崇高な目的や理想のためという名目があろうとも
全ては自分都合の欲求不満のはけ口でしかなく
行き着くところはどこまで行っても生命を粗末に扱っているだけでしかないのです。

生命を尊重していればむやみに自分の命を簡単に投げ出さないでしょうし
自分の欲求不満の解消に他人を巻き込むなんて以てのほかです。

私は死にたければ死んだら良いと言う事もありますが
これは本気で死ねばいいと思って言ってるのではなく
死に対して本気で向き合っているからこそそう言えるのであって
自分は一体何のために生きてるのか、今一度生きる意味について向き合っていただきたいのです。

自分が生きている意味がわかれば、命を粗末に扱わないはずです。
それは自分が生きているのではなく、生かされている存在なのだという事に気づけた時に
改めて命の尊さを感じることができるはずだからです。

自分が生きているだなんて感じていれば、他者の命なんてどうでもよくなります。
自分さえ良ければ他人が傷つこうが苦しもうが、自分には関係ありません。

しかし自分は生かされているとなれば、他者の存在がどれだけありがたいものか
身にしみて感じられるでしょう。

私は常々死は怖くないと言っています。

怖いのは死の苦しみであって、死そのものは怖いものではありません。
(この世への)執着さえなくせば、死は怖くなくなるのです。
私は既にこの世への執着も未練もありません。
いつお迎えがきても良いように、日々丹念に心の準備を整えながら生活しております。

仏教では六道と言って、生前の行いにより死後は六道のうちのどこかの界層に転生するように言われてますが
実際の六道は全てこの世のありさまを言ってるわけですね。

過去に動画でもお話しましたように、地獄(六道の一つとされる)とは私たちが生きているこの世のことですから
同じ六道の一つである人間界(人間道。つまりこの世)と別の世界であるはずがありません。
(<参考動画>http://youtu.be/DgaQ_pugz1I<参考コラム>http://mbp-japan.com/kyoto/kyotocl/column/14081/

ですから死後は地獄に落ちる心配も不安もありませんし
この世でさせていただくことをさせていただいたら後はあの世に帰らせていただくだけなのですから。
もちろんあの世と言っても地獄や六道など別の世界に行くわけではありませんので
私にとって死は恐怖でも何でもないのです。(死そのものと苦しみは別)

六道それぞれの苦しみは、まさにこの世に生きている苦しみを言っているわけですね。

だからこそ死は怖くなく、怖くなくなる。
そして死を受け入れることができるようになったのです。

死は怖いとか苦しいものではなく、常に身近にあるもの。

それを受け入れずに拒むということこそ苦しみの元凶になるのではないでしょうか。
(わかっていてもなかなか受け入れられない)

仏教の説く本質や死との向き合い方については心理カウンセリングを通してお話させていただきます。
そして私と一緒に今を生きる意味について考えていきましょう。

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宮本章太郎
専門家

宮本章太郎(心理カウンセラー)

京都カウンセリングラウンジ

心の健康のみならず、メンタルに関連して起こる様々な身体への影響や健康に関する知識が豊富ですので、うつ対策や不眠症の改善といった、総合的な健康法についても心理学の観点からアドバイスと情報提供が可能です。

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