大阪都構想の住民投票率が66.83%だった事について、そこから見えて来る人間心理
野球賭博に関するニュースが騒ぎになっています。
現役のプロスポーツ選手が賭け事に興じてただなんて
スポーツマンシップに欠けるあるまじき行為であり
国民的スポーツである野球に対する健全なイメージにも多大な影響を与えたのではないでしょうか。
ところがよく考えてみると、賭博の何がいけないのでしょうか?
確かにスポーツマンシップに欠ける行為ではありますが
何も野球じゃなくても賭け事なんて日常の中でも行われてますし
カジノやパチンコなどの遊興としても浸透しています。
合法か違法かという違いなだけで、賭け事という行為の何が違うのでしょうか?
なぜ賭け事によって財を成してはいけないのでしょうか?
公共性があるかないかで罪に問われるなら
私は法律という規則(偽りの正義)によって縛られなければならない理由こそよくわかりません。
ギャンブルは心理学上も依存に陥りやすく
犯罪に走ったり人生が破綻しかねない危険性がありますから、規制対象になる理屈はよくわかります。
しかし殺害行為などの許し難き行為なのかと言われれば
私はそこまで精神的に追い込まなければならない行為なのだろうかと疑問を感じるのです。
そんな鬼の首を取ったように、まるで取り返しの付かない罪でも犯したかのように
とんでもない悪行のレッテルを貼り付けたがる風潮こそ私は不思議でなりません。
本当に野球賭博問題で受けた衝撃は計り知れないものがありますが
それで鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てて追い詰める必要もなければ
過去には他のスポーツやいろんな業界で違法賭博はあったように(今でもあるでしょう)
努力次第でまたいくらでも健全化する事は出来るのです。
そして何より今回関与した選手たちの今後の人生を思うと
野球生命を絶たれた挙句、人権まで剥奪するような全てを奪ってしまう必要はないと思いますし
この一件から学んでやり直せる機会と罪を憎んで人を憎まずの広い心で
ぜひ“許す(許してあげる)”という事を皆さんにはしていただきたいと願うばかりです。