原発事故が起きた際の避難計画に対する矛盾点 ~人ではなく自分を見れば問題の矛盾にも気づく~
東日本大震災から5年の月日が経ちましたが
あの震災から何を学んだのか、私は何も学べてないような気がします。
そもそもこうした自然災害に対して人類が出来る事なんて準備しかありません。(災害への備え)
準備しか出来ないのに準備をするどころかむしろ逆行し
原発を再稼働させたり被害を拡大させる事をしてるように感じますが
備えあれば憂いなしと言われるように備える事が災害への対策になるのです。
予知・予測の研究をしたり、訓練や知識を蓄える事が準備であり
災害の発生そのものをコントロールしたり立ち向かおうとするのが対策ではありません。
自然現象を前にして人間はいかに無力であるのかを悟らなければ
己の力を過信して力に溺れるのは私たち自身なのです。
だからこそ自然に対する感謝や敬意を忘れてはならないんですね。
自然の恩恵を忘れて自分たちの快適さだけを求めるばかり
人は自然の中に生かされてるんだという事を忘れ、本当に何か大切なものを見失ってるような気が致します。
人間関係でもそうです。
自分の幸せだけを求めてたりしてやってるだなんて恩着せがましい態度では
その人を巡る人間関係がどういうものであるかは想像に難くないでしょう。
人の揚げ足取りに追われてるような人は心に余裕が無い証拠ですし
余裕がないという事は準備が足りないという事。
だから想定外の事態に対応出来ずパニックを起こしてしまう。
備えあればこそ心に余裕が生まれるのであり
準備が足りなければ何か事が起こった時に慌てなければなりません。
何でもそうなってからでは遅いんです。
自分なんていかに無力であるかを悟り、そんな無力な人間が他者によって生かされてるんだという事を悟れば
常に感謝の心を忘れずに、受けた恩恵は何倍にでもして自然や社会に恩返しする事が出来ます。(還元する)
自分の無い力で何かをコントロール出来るなんて自惚れない事。
そうすれば人間関係や自然現象に対しても捉え方や向き合い方が変わるのではないでしょうか。
捉え方や向き合い方が変われば取るべき行動(対策)も変わって来ます。
行動が変われば心の在りようも変わって来る。
つまり日頃からの努力や準備こそが何か事が起こった時の備えになるんですね。
これが備えあれば憂いなしという言葉の真意であり
自然災害や緊急事態が起こった時に何かをする事ではなく
準備や出来る事を普段からしていれば何も慌てて心配する必要はないと
心の余裕を言ってるのかもしれません。
私たちが学ぶべき事は沢山あります。
震災で犠牲になられた方からも学ばせて頂き、無駄にしてしまわないよう感謝と敬意を持って生きていく事。
これが私たちに出来る恩返しだと私は思います。
追悼の意を込めて
犠牲者の皆様、こうして生きていられる事に心から感謝致します。