人は自分の心理にはあらがえない。だったら心理学を上手く利用してやればいい
前回は認知症の人の世界観と人の記憶がいかに曖昧なものなのかをお話しました。
今回はその続きで、認知症の感覚と人の記憶の不確実性についてをもう少し詳しく見ていきましょう。
そもそも私たちは目で見て捉えたものが何であるかを把握して対象を認知(認識)しています。
つまり目に飛び込んで来た情報を脳が認知して初めてそこに何かあるとわかるのであって
脳が認知しなければいくらしっかり見ていたとしても、それは何も見ていないのと同じです。
だから同じものを見ていても分かる人と分からない人がいる。
このように実際は脳が認知しきれてなくても目には映ってるはずなのに
脳は目に映るもの全てをいちいち憶えてない事がおわかりでしょうか。
ただ思い出せないだけで(記憶として定着してない)、情報としては脳の中に入ってるわけですね。
そうです、実はここに人間の記憶の曖昧さが隠されていたのです。
視覚に限らず聴覚や触覚など全ての感覚に言える事ですが、認知出来なければそれは何もないのと同じ。
だけど実際には何もないわけではない。
これが前回最初に申しましたように、人は自分が認知してる範囲が世界の全てだという事なんですね。
自分では認知症じゃないと思ってても、人は皆等しく認知症の世界の中で生きているのです。
ただ日常生活にどれくらい支障があるかどうかなだけで、これは程度問題に過ぎません。
実際私がここまで説明しても、私が何を言ってるのかどういう事を言ってるのか脳が認知しなければ
もっと事細かにいくら詳細を説明してもわからない人にはわからないのです。
だからといって頭が悪いわけではありません。
頭の良さ(例えばIQのような知能指数)で言えば皆さんの方がはるかに高いでしょう。
要は脳がどこまで認知出来ているかで自分の世界観や心の豊かさまで大きく変わって来るという事。
そして認知療法などやり方によっては、今より更に世界を広げる事だって可能なんですね。
今見えてるもの(捉えてるもの)が全てではない。
この事実を受け入れられなければこのまま狭い世界の中で生きるだけでしょうし
事実だろうと虚偽だろうと脳に認知させてやれば、いくらでも世界は広がるのです。
いずれにしても自分の人生、生き方に正解なんてありません。
これで認知症や健常者を問わず、人の記憶がいかに曖昧で信憑性の低いものであるかがおわかり頂けたと思いますが
実際アルツハイマーなど病態としての認知症の人がどんな感覚なのかを知る事が出来ましたでしょうか?
認知症と言っても人それぞれ症状が違いますので皆同じではないですが
認知症の実態やわかった事柄を手がかりにすればそこからどう接していけばいいかもわかりますし
人間関係でも相手の感覚を知れば世界観だけでも認めて受け入れる事も出来ますし
自分の人生まで豊かになって来るはずです。
それだけ世界が広がるわけですからね。
心理学や認知療法はこういった社会問題まで改善に繋げられます。
今回は人の記憶と認知症に関する実態の一部のみをお話しただけで
まだまだ詳細についてのご説明も出来ますし、様々な分野に応用発展させて助言なども出来ますが
皆さんそれぞれが考えて向き合っていく事で世の中はきっと今とは違う方向に変わっていくでしょう。
しかし何もわからないまま何もしようとしなければ、このまま何も変わる事もありません。
それは社会問題だけでなく個人の問題でも同じ。
自分の人生をどう生きるか。
それは自分の力で変えていくしかありませんし、その中で人の力に頼る事も必要だと私は思います。
認知症問題に限らず、共に力を合わせて生きていきましょう。
京都カウンセリングラウンジ
宮本 章太郎
このコラムに対するご意見ご感想など、お気軽にお聞かせください。
また、こんなテーマで書いてほしいというご希望も併せてお待ちしています。
公式ホームページ http://kyotocl.web.fc2.com/
eメール kyotocl@gmail.com