なぜ人は自分の好きな人の事をもっと知りたいと思うのか?
人によって様々ですけど、一般的にクモって気持ち悪いでしょ?
大きいクモならいざ知らず
クモを気持ち悪いと思ってる人はイエグモのような小さなクモでも気持ち悪いと思います。
クモ=気持ち悪いというイメージですね。
でもイエグモなんてほんとは何の悪さもしないし
むしろ居てくれる方が害虫を退治してくれるのでありがたい存在なんです。
(クモ自体が害虫だという話もありますが)
よく説話などで言われたりしますが
そんなクモって実は苦しみの象徴なんです。
ほんとは居てくれたら助かる存在なのに、気持ち悪いからどうしても受け入れられない。
ちっちゃいから平気だと自分に言い聞かせても、つい邪険にしてしまいます。
何も可愛がるまでしなくてもいいですが、別に追い払ったり殺生までする必要はないですし
何か悪さをするわけじゃないんだから
仏様の使いや仮の姿として(ご先祖様の生まれ変わりとも)お伽話などにも登場するように
害虫を退治してくれるありがたい存在としてそれ以上気にしなければいいのです。
それなのになぜか受け入れられない。
わかっててもやっぱり嫌い。
ヤモリなんかもそうですが
実際は何も悪さをしなくても、むしろ居なければもっと困るような存在だとしても
イメージだけで忌み嫌って受け入れられないものは
皆苦しみの象徴として昔から人々の間で語られて来ました。
しかも身近なのにあまり生態を知らない不気味な存在ですし
下手に殺してしまうと危害は加えて来ませんが後で仕返しのようにしつこく現れるので
呪いとか謎に包まれた畏怖の存在としてどうしても奇妙な(気持ち悪い)イメージになってしまうのです。
実際クモが神の使いや仏様の仮のお姿なのだから
むやみに殺生しないで生き物を大切にしなければならないというような話ではなく
人間関係でも何でも物事をイメージだけで捉えて
真実(実態)よりも目に見える事柄だけで判断ばかりしていると
幻想に振り回されて苦しみを抱えてしまう様を言ってるんですね。
別にだからどうしなさいと言ってるのではありません。
ただこの世の中は得てしてそういうものだと言ってるのです。
確かにイメージでは気持ち悪いクモでも
そういうものだと受け入れてしまえば何て事はありませんし
今日も居るなと別に穏やかに見守ってれば
特に危害を加えられたりしないんですから必要以上に怖がる事もありません。
とはいえ、やっぱり気持ち悪いものは気持ち悪いですけどね。
ここで私が言いたいのは、苦しみに立ち向かって行く勇気で苦しみは乗り越えられるという事。
苦しいからと何もしなければただ目の前の恐怖に怯えてる事しか出来ません。
苦しみに立ち向かって行くにはイメージではなく、実態を知り理解する事です。
そうすれば何かわからない幻想に惑わされる事はありません。
それにしても昔の人は偉いですねぇ。
あらゆる事を自分たちの学びに換えて生きる知恵や工夫して生活の中に取り入れ
それが語り継がれて今でも活かせる知恵として残ってるのですから
ただただ感心するばかりで頭が下がる思いです。
私たちも先人の知恵と工夫を今に活かして
後世の人達にも学んで頂けるような生き方を心がけたいものです。
京都カウンセリングラウンジ
宮本 章太郎
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