何でも仕切りたがるのは、心に余裕が無い証拠
学問とは学び、問うと書きます。
つまり人に何かを教えたり勉強したりする事ではないんですね。
自らが自らに問い、そして学ぶ。
これが学問です。
誰かから教育を受けたり何か覚える事が学問ではありません。
ですから学問とは、受け身では何一つ自分のためになりませんし
ただ勉強した内容を覚えるだけで、それは自分のためではなく
人の期待に応えようと望みに従ってるだけです。
学問の問は門ではないですから
どこか立派な学校や先生の所に入門して教えを請うのではなく
やはり自らが意欲的に学ぼうとしなければなりません。
でなければ学問として何の進展もないんですね。
自ら学ぼうとしない学問は学問とは言えず
別にやりたくもない事をただ何となく、仕方なくやってるだけ。
だからそこから学べる事は何一つありません。
だって学問ではないんですから。
学問はそうして進展して行くものです。
行く行くは誰かの、何かの、自分の役に立つものです。
いくら勉強して優秀な成績を収めたって
それだけでは何の役にも立たないんですね。
自ら問うてない、人に聞いただけの知識や情報なんて
学問でもなければ何の説得力もありませんし、耳を貸す価値すらもありません。
その知識は自分が自らに問うて導き出したものではなく
全部他人の情報を前提(基準)として
それに対する自分の思い(感想だけ)で語ってるだけですから
自分の核となる考えもなければ、相手次第で意見や答えがコロコロ変わってしまうでしょう。
だから例え言ってる事を最後まで聞いたところで話になりません。
人の意見で立ち向かってるだけですからね。
どっちの方が、何が正しいとかそんなレベルで話をしていても
そこから先には進んで行けませんし
ただ自分が相手より優位に立ちたいだけの、考えの押し付けでしかありません。
学問とはそういうものではないのです。
自らが自らに問い、学ぶ。
そうすれば正解であるかどうかなんて大した事ではなく
他人との交流はもちろん、あらゆる面で心豊かな人生になるでしょう。
これが学問の持つ真の力なのです。
“人の事より先ず自分”
肝に銘じておきたいですね。
京都カウンセリングラウンジ
宮本 章太郎
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