人の話を聞かない・聞いてない人の特徴 ~自分から信頼を失う行為~
皆さんは学校のルールや社会のルールといった
ルールについてどのようにお考えですか?
また、ルールは必要だと思いますか?
ルールになんて縛られたくないとお考えですか?
それではこのルールを、スポーツで例えてみましょうか。
スポーツには当然ルールがありますが
スポーツをするために集まる目的は様々です。
子供たちが遊びでやるのと、プロが優勝を目指して競うのとでは
同じスポーツをするのでも、みなが掲げている目標や意識が違います。
もし遊びでやるのだとしても、人によっては
遊びでも真剣にやろうぜ、絶対勝つんだ!
と、きちっと戦略を立てて臨むという人もいれば
ただの遊びじゃん、そんなに固いこと言うなよ
楽しめればそれでいいやという意識の人もいるでしょう。
人によって考え方は様々です。
楽しむにしても、真剣にやるからこそ楽しめるんだという人と
別に真剣じゃなくても、やる事が楽しいんだという人とでは
取り組む意識からして違います。
真剣にやってる人からすれば
ヘラヘラしながらやってる人が気に食わないし
ただの遊びだと思ってる人は
真剣にやってる人がただの必死にしか見えません。
しかしこれがプロの世界だと
どういう意識で取り組んでようが関係なく
目的は一つ、優勝です。
必死にやろうが楽しみながらやろうが
優勝に貢献し、活躍してるなら文句はありません。
それがプロのスポーツです。
つまり、プロのように皆が一つのものに向かって目指すものがあれば
個人の取り組む意識なんて問題ではないですが
ただ集まって遊ぶような、明確な目標がないものなら
意識の違いで互いの主張がぶつかり、場合によっては問題になるのです。
学校や社会というのは
特に明確な目標のない、多種多様な考えの人の集まりですから
ある程度、皆でこうしましょう
こうしていきましょうといったルールがないと
全く秩序やまとまりのない社会となってしまうんですね。
いわばそこは、無法地帯でやりたい放題の危険な社会だというわけです。
だからこそルールというものが存在するのです。
ルールは単なる拘束ではありません。
みながこの、一定のルールという目標を頭に意識する事で
それぞれ個人の安全が保たれてるわけですね。
ですからこのルールは、誰もが納得できるようなものでなければなりません。
個人の感情や利益のためとしてではなく
社会的秩序に則った範囲でです。
しかしその調整が難しいので、ルール自体にも様々な問題はあります。
ルールは個人に対する強制や拘束ではないんです。
あくまで多種多様な考えを持つ人間というものを
安全を保つ目的でまとめるためのものがルールなんです。
それぞれ個人の考え方による意識がバラバラなままだと
秩序も何もない危険な社会になりますからね。
学校や社会でも、一人ルールを無視して好き勝手すればどうなるか
実際問題も起こってますし、想像に難くないでしょう。
その範囲であれば、個人(自由)は尊重されなければならないというのが
ルールが存在する基本原則でもあります。
範囲というと、やはり拘束じゃないかと思われるかもしれませんが
何度も言いますが、ルールは安全を保つためであり
その中には自由を約束する目的もあるのです。
自由とは安全の中でこそ保たれるものなんですね。
これはカウンセリングの状況を考えてみればわかりやすいと思いますが
心の安全が保証されてるからこそカウンセリングが成り立つわけです。
心が危険に晒されてるような状況では
心を守ろうという意識が働くため、自由に発言も出来ませんよね。
何か発言する事によって、危険に晒されるかもしれないんですから。
今回はまた難しかったかもしれませんが
これがルールが存在し、ルールによって安全が保たれるんですよ
その中でこそ自由があるんですよというお話をしてきました。
いつも長くなってすみません。
文章だからあれこれお伝えしようと長くなってしまいますが
カウンセリングではもっとわかりやすくお話ししますね。
ご意見ご感想、あなたのお聞きになりたい事をお聞かせください。
メールでけっこうですよ。
必ず目を通します。
また、こんなテーマで書いてほしいというご希望も
併せてお待ちしてます。
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