褒め過ぎは他人軸になる
私が3歳くらいまでは、
お袋は自宅で内職をしてたので
かまってもらえず、
甘え方を知らない子供でした。
その頃のお袋の言葉で
よく覚えてるのが
「ダメ」「どうして」「何度」「やめて」
そんなことしたらダメじゃろう
どうしてそんなことをするん
何度言ってもわからん子じゃなぁ
やめてと言ったらやめて
子供心に大人のイライラは
すぐ分かるし、私の顔を見ずに
内職をしながら言われてもね(^o^)
後でどんな猫なで声で
言葉をかけてくれても
腹の中では「クソババア」です。
お袋がイライラする言葉を聞くと、
今度はどんなことをしてやろうと
次のイタズラを考えてました。
お袋の気を引くためにね。
祖父は厳しい人でしたが、
イライラを私に向けたことは
一度もありません。
ただ、私のしつけのことで、
お袋と祖父がよく喧嘩を
してたことは覚えています。
お袋の言ったことは
聞く気がありませんが、
祖父の言ったことは
私なりにちゃんと守ってました。
お袋と祖父とは、
いったい何が違うのかと言うと、
「言い方」と「見守り方」です。
祖父は、どんな状況でも
私に否定語は使わなかったし、
他人に大きな迷惑をかけないような
イタズラは笑って観てました。
私が弱い者イジメをした時は
お前がされたらどんな気持ちになる
という感情への問いかけ。
良いことをした時には
「えらいなぁ」と頭を撫でて
褒めてくれました。
そのうちに良いこと悪いことの
区別がつくようになりましたが、
悪いことと分かっていても
好奇心と冒険心には勝てません。
中学生になるまでイタズラが
止むことはありませんでした。
だって、大人が反応するのが
楽しくて仕方ないですからね(笑)
【小さな実践】
叱る場面と見守る場面を線引きし
親の都合や機嫌で線引きを変えない