「物語」は明日を生きる力を産み出す
ずっと考えてきたことがあります。
これまでの私の人生は曲がりくねった坂道の様だった、と。
今までいくつかの曲がり角を、きっとその先に新たな光景が開けているはずだと自分の判断を信じて曲がってきたけれど、さらにその先にふと見える新たな坂道を見ていると、これからどうしようかと考え込んでしまう。
今も、この坂道をどうやったら登り続けていけるだろうか、と色々と考えています。
昔、小さい頃に小学校への長い坂道を毎日歩いて登下校していたことがあります。中学校も急な坂の下にあり、毎日上り下りせずには通えませんでした。 しかたがない、とは思ったものの、何とか楽に通えないものか。
その時、子どもながらに思ったことは
1つ目は、「まっすぐに登ってはいけない。出来ればジグザグに登ること」
2つ目は、「あまり遠くを目指してはいけない。遠さに気をくじけさせないで、『まずは、あの電信棒まで』、そして『次はその次の電信棒まで』、と目標を近くに持って積み重ねること
3つ目は「疲れたら、無理せず時々休憩しながら、それでもとにかく登り続けること」
そして最後に「友だちをおしゃべりをしながら登ること」この四つ。
でも残念ながら、私には4つ目の「おしゃべりができる友だち」が少なかったのです。ですから私はいつも、自分の心の中にいるもう一人の友だちとお話をしながら坂道を登っていました。外から見るとブツブツとひとりごとを言っている私は奇異に映ったかもしれませんが、それでも話相手がいるということはずいぶん気持ちを楽にしてくれた覚えがあります。
そして今この年齢になって、「この4つは今でも同じではないのか?」と思うようになりました。私たちの人生には、昇らなくては次へ行けない、長く急な坂道に出会うことが時々あるものです。そんな時は 子供のころに思い付いた4つのコツを思い出して、次のように思うのです。
1つ目はまず、早く何とかしようと「焦らない」。
時間はかかるかもしれないが、遠回りもいいものだ。 早く何とかしたいという気持ちは当然だけれども、時が来るまで待たねば仕方がないことはあるものです。
2つ目は、何が起きても「慌てない」。
何が起きても、あわてることはない。あわてると冷静さを失って判断を誤ります。「ま、人生そういうこともあるさ」と、腰を低くして重心を下げ、どん!と構えることです。
3つ目、何ともならなくても「あきらめない」。
人の変化は変わるべき「時」があるのです。それまでは何にも変わっていないと思っても、決してあきらめないこと。ある時ふと自分の見える景色が変わったことに気が付いて、自分の来し方を振り返った時、「そうか、私はここまで歩いてきたのか」と、驚きとともに自分の変化に気づくものです。
私はこの「焦らず・慌てず・あきらめず」の3つを、「3つの『あ』」と呼んでいます。
そして最後に4つ目、「誰かに相談したり、雑談をしながら昇る。」同行二人、一緒に横並びで、時には半歩先を行って導きを見せてくれる誰かがいれば、なおさら安心です。
カウンセリングは、まさしくこの4つの取り組みそのものではないのか、最近そんなことを考えています。 どうでしょうか?
“あせらず、あわてず、あきらめず” そして “一緒に”