汝の哀しき性(さが)に泣け
神戸新聞に掲載されている双子の発達障害児の母親である森山和泉さんの「泣いたり笑ったり~発達障害の双子の歩み~」を読んでいてとても考えさせられるエピソードに出会いました。長くなるので割愛しながら引用させていただきます。
「・・・テレビで命を懸けて子キツネの世話をする親ギツネを見て、涙を流した私(注:森山さん)の顔をのぞき「何の涙?」と淡々と質問したり、卵から黄身が二つ出てきて喜ぶそばで「何がうれしいの?」と不思議がったりするのが、娘なのです」
なるほど娘さんは相手の態度の裏の気持ちを察することが苦手なようですね。
そして森山さんが「『一緒に喜んだり悲しんだりしてほしいな』というと『思えないのにできるわけがない』と言ってのけます。こんな時はとてもさみしくなり、心の大切な部分が育っていないのかなと心配になります」と続けられています。一緒に生活している家族として、何気ない心の触れ合いが大切な事、そしてそれが発達障害の特性から思うように叶わないことの寂しさや不安が伝わってきます。
ところがそういう娘さんがある時、とても情緒的に最大級なやさしさを見せたことがあるというのです。それはなんと「掃除機が壊れたとき」だったそうです。ん?ちょっと待ってよ、何で壊れた掃除機に最大級のやさしさを?
その時の会話が文章とともに漫画でも描かれていました。文章と漫画のセリフから娘さんの気持ちをまとめると・・・・
「機械は純粋なんだよ。スイッチ一つで決まったことをやるんだよ、いつもいつも」
「(娘さんは)学校も苦手、人のいっぱいいるところも苦手。だけどね、決まりだからちゃんと毎日学校に行っているんだよ。機械は私と同じなんだよ。」
「だから機械が壊れると、胸がキューンとなるんだ。」「どうして私の気持ちがわからないの?」
なるほど。こうやって説明されれば、確かにそうだ、と娘さんの気持ちが伝わってきます。そういうやり取りを経て森山さんは次のように締めくくります。
「『相手の気持ちに気づくのが苦手』なのは、私も同じ。感性が自分と少しでも違うと、途端に相手のことがわからなくなるのかもしれませんね」
読んでいて非常に考えさせられました。定型発達者から見ると彼らは「発達障害」ということになりますが、彼らの側から見てみると定型発達の人々こそ「定型発達障害」なのかもしれません。自分達だけが正しいという考え方は一面的な見方なのでしょうね。お互いが理解しあって歩み寄るという姿勢が必要だと思わされたエピソードでした。
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