【刑事事件】被害者の氏名が伏せられた事件で防御をどう組むか|秘匿決定下の実務

若井亮

若井亮

テーマ:刑事事件

この記事は2026年9月時点の法令にもとづいて解説しています。個人特定事項の秘匿に関する規定は、2023年(令和5年)の刑事訴訟法改正によって設けられ、2024年2月15日から施行されています。運用には事件の内容や裁判所による幅がありますので、個別の判断は弁護士にご確認ください。


起訴状が届いたのに、被害者の氏名の欄に「A」としか書かれていない。取調べで尋ねても教えてもらえない。弁護人は知っているようなのに、自分には話してくれない。こうした状況は、2024年2月に施行された刑事訴訟法の改正以降、性犯罪をはじめとする一定の事件で実際に起きています。

 相手が誰か分からなければ、謝罪も弁償も、事実の説明も組み立てにくくなります。もっとも、打つ手がまったくないわけではありません。この記事では、被害者の氏名が伏せられた事件で防御をどう組み立てていくのかを、手続の順序に沿って整理します。

「氏名が伏せられている」には二つの意味がある

最初に整理しておきたいのは、ひとくちに秘匿といっても、性質の異なる二つの仕組みがあるという点です。ここを混同したままだと、何を争えて何を争えないのかが見えにくくなります。

 一つ目は、公開の法廷で明らかにしないという意味の秘匿です。裁判所は一定の事件について、被害者の氏名などを公開の法廷で明らかにしない旨の決定をすることができ、その場合、起訴状の朗読や証人尋問はその事項を明らかにしない方法で行われます(刑事訴訟法290条の2、291条2項)。証人など被害者以外の方についても同様の仕組みがあります(法290条の3)。伏せられている相手は傍聴人などの第三者であり、被告人本人は氏名を知っていることが少なくありません。

 二つ目は、被疑者・被告人本人に知らせないという意味の秘匿です。2023年の改正で新たに設けられたもので、逮捕状や起訴状に被害者の氏名などを記載しない書面を用いる形をとります。防御の組み立てに直接影響するのはこちらです。

 法廷で明らかにしない決定本人に知らせない措置
主な根拠法290条の2・290条の3法201条の2・271条の2など
誰に対して伏せるか傍聴人など法廷にいる第三者被疑者・被告人本人
本人は氏名を知っているか知っていることが多い知らされない
防御への影響限定的直接に影響する


 前者の決定自体はめずらしい扱いではありません。報道によれば、最高裁の集計で年間4千件から5千件ほどの秘匿決定が出ており、2024年に決定が取り消された例は2件と伝えられています。「氏名が伏せられた」と聞いたら、まずはどちらの話なのかを確かめてください。

何が「個人特定事項」にあたるのか

条文上、個人特定事項は「氏名及び住所その他の個人を特定させることとなる事項」と定義されています(法201条の2第1項)。氏名と住所に限られず、その人を特定できてしまう情報が広く含まれる建て付けです。解釈に委ねられている部分はありますが、勤務先の名称や通学先の学校名、家族の氏名なども含まれ得ると説明されています。

 対象となるのは、おおむね次のような立場の方です。

  • 性犯罪など、法律に列挙された一定の罪の被害者。
  • 名誉や社会生活の平穏が著しく害されるおそれ、あるいは本人や親族に危害を加えられたり畏怖・困惑させられたりするおそれがあると認められる事件の被害者。
  • 上記のほか、同じようなおそれがあると認められる被害者以外の方(目撃者や通報者など)。


 三つ目を見落とさないでください。秘匿の対象は被害者に限られません。事件を目撃した方や通報した方の氏名が伏せられることもあり、その場合は「誰が何を見たと言っているのか」が分からないまま準備を進めることになります。

手続のどの段階で、どの書面が伏せられるのか

秘匿は一つの決定でまとめて行われるのではなく、手続の各段階でそれぞれ別の形をとります。自分がいまどの段階にいて、どの書面を受け取っているのかを押さえることが出発点です。

段階本人に示されるもの主な根拠
逮捕個人特定事項の記載がない逮捕状抄本等法201条の2
勾留勾留状に代わるもの。勾留質問でも当該事項を明らかにしない方法で告知法207条の2
起訴起訴状の謄本ではなく、起訴状抄本等の送達法271条の2
証拠開示閲覧・謄写の制限、呼称や連絡先を記載した代替書面の交付法299条の4
公判起訴状の朗読や尋問を、当該事項を明らかにしない方法で実施法290条の2、291条2項
裁判書個人特定事項の記載がない抄本の交付法271条の6


 起訴後に訴因が変更される場合にも同様の措置がとられ(法312条の2)、公判前整理手続における証拠開示にも同じ枠組みが及びます。起訴状そのものの読み方は、起訴状が届いた|謄本の送達と第1回期日までにすることもあわせてご覧ください。

弁護人は知っているのに、本人には伝えられない

秘匿の措置がとられた事件で多くの方が戸惑うのが、この構造です。起訴状について措置がとられた場合でも、弁護人には原則として、伏せられていない起訴状の謄本が送達されます(法271条の3第1項)。ただしその送達には、起訴状抄本等に記載がない個人特定事項を被告人に知らせてはならないという条件が付されます(同条2項)。

 弁護人が教えてくれないのは、依頼者を信用していないからでも、手を抜いているからでもなく、法律上の条件が付されているためです。ここを誤解して弁護人に強く迫ってしまうと、本来は協力し合えるはずの関係が壊れてしまいます。

 さらに、条件を付すだけでは保護の目的を達成できないおそれがあると判断されたときは、弁護人に対しても個人特定事項が伏せられることがあります。この場合でも、被告人の防御に実質的な不利益を生ずるおそれがあるときは除かれるとされています。

 証拠開示の場面でも同じ考え方がとられます。被告人による閲覧・謄写を制限して弁護人限りの取扱いとする、氏名に代わる呼称や住居に代わる連絡先を記載した書面を交付する、知らせる時期や方法を指定するといった措置が想定されています(法299条の4)。開示の方法に納得できない場合には、裁判所に裁定を求める手続が用意されています(法299条の5)。

防御を組む前に確かめる四つのこと

秘匿されている事件でも、確かめられることは残っています。弁護人と最初に共有しておきたいのは次の四点です。

届いている書面はどちらか

起訴状の謄本なのか、起訴状抄本等なのかで置かれている状況は変わります。抄本等であれば、本人に知らせない措置がとられているということです。書面の表題と、どの欄が空欄や記号になっているかを確認してください。

伏せられているのは誰の、どの情報か

被害者だけなのか、目撃者や通報者も含まれるのか。氏名だけなのか、住所や勤務先まで及んでいるのか。範囲が分かると、どこまで事実を特定できるのかが見えてきます。

事実を争うのか、認めて情状を組むのか

この選択によって、氏名を知る必要性の大きさが変わります。後述する通知の請求が通りやすいかどうかにも直結するため、早い段階で方針を固めておくことが望ましいといえます。

示談や弁償を目指すのか

氏名が分からなくても、弁護人が検察官を通じて連絡を取り次いでもらえる場合があります。氏名を知ることと、弁償に向けた話し合いを始めることは、必ずしも同じではありません。

防御に不利益があるときは通知を求められる

秘匿の措置は、いったんとられたら動かせないものではありません。被告人または弁護人は、裁判所に対し、個人特定事項の全部または一部を被告人に通知するよう求めることができます(法271条の5)。基準となるのは、その措置によって被告人の防御に実質的な不利益を生ずるおそれがあるかどうかです。この請求についての裁判に対しては即時抗告をすることができ(同条5項)、捜査段階にも同様の請求の仕組みがあります(法207条の3)。

 実質的な不利益は、抽象的に述べるだけでは伝わりません。氏名が分からないことで具体的に何ができなくなるのかを、事件の中身に即して示す必要があります。例えば次のような主張が考えられます。

  • 相手とは面識がないと主張しており、氏名が分からなければ心当たりの有無すら確認できない。
  • 複数の人物がいた場に居合わせており、誰を指しているのかによって説明すべき事実が変わる。
  • 当日の行動やアリバイを裏づけるうえで、相手との関係や接点を特定する必要がある。


 反対に、事実関係を争っておらず争点が量刑に絞られている事件では、氏名を知らなくても防御に支障がないと判断されやすい面があります。請求するかどうかは、方針との兼ね合いで決めることになります。

認める事件と争う事件で、組み立ては変わる


認めて弁償や示談を目指す場合

氏名が分からないままでも、弁護人が検察官を通じて意向を確認し、話し合いに進める例はあります。書面の作り方には固有の工夫が必要になりますので、被害者の氏名が伏せられている事件で示談書をどう作るか本名を明かさずに示談できるか|代理人限りでの合意の可否をご覧ください。連絡そのものを弁護人に任せる理由は、性犯罪の示談交渉を弁護人に任せる意味|本人が連絡してはいけない理由で説明しています。

事実を争う場合

氏名が伏せられていても、起訴状には他の犯罪事実と区別できる程度の特定は必要とされています。日時、場所、行為の態様といった記載を手がかりに、自分の記憶と突き合わせる作業から始めます。そのうえで特定が足りず防御の対象が定まらないのであれば、その点を具体的に述べて通知の請求につなげることになります。性犯罪の事件に絞った解説は、性犯罪で被害者の氏名が伏せられている|秘匿決定下での防御にまとめています。

秘匿されている間に避けたいこと

よかれと思ってとった行動が、かえって立場を悪くすることがあります。次のような行為は避けてください。

  • 条件に反して、弁護人に氏名を教えるよう求めること。
  • 記憶や人づてで相手を割り出し、確認のために連絡をとること。
  • SNSや知人を通じて、事件の関係者を探し回ること。
  • 何らかの経緯で知った情報を使って、相手や家族に接触すること。


 秘匿の措置は、相手に知られたくない、接触されたくないという事情を前提に行われています。その前提を崩す行動は、量刑の判断にも、保釈中であれば保釈の条件との関係にも影響します。保釈中の制約は保釈の条件(制限住居・接触禁止・渡航制限)に違反したらどうなるかをご確認ください。

よくあるご質問


弁護人に頼めば、氏名を教えてもらえますか

条件が付されている間は、弁護人が本人に伝えることはできません。伝えてほしい場合は、裁判所に通知を求める手続を経ることになります。

氏名が分からないまま判決まで進むこともありますか

あり得ます。判決後に交付される裁判書についても、個人特定事項の記載がない抄本が交付される仕組みが設けられています(法271条の6)。

秘匿されていると不利な判決になりやすいのですか

秘匿の措置は被害者などの情報を保護するための制度であり、それ自体が量刑を重くするものではありません。ただし事実を争う場合は準備の負担が増えるため、早めに方針を決めておくことが大切です。

氏名が分からない段階でも、できることから

被害者の氏名が伏せられた事件では、情報が限られるぶん、手続の各段階で何が行われているのかを正確に把握することが、そのまま防御の質につながります。届いた書面の種類を確かめ、伏せられている範囲を整理し、方針に応じて通知を求めるかどうかを判断する。この順序を踏めば、分からないことが多い状況でも、やるべきことは具体的に見えてきます。

同じような状況でも、経緯や残っている記録によって取れる手段は変わります。どこから手をつければよいか判断がつかない段階でも、事実を整理するところからご一緒できます。
当事務所では、電話・メール・LINEのうちご希望の方法でご相談をお受けしています。ご都合のよい手段をお選びください。
早い段階でご相談いただくほど、選べる手立ては多く残ります。迷っている段階でも、まずはお気軽にお声がけください。

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若井亮
専門家

若井亮(弁護士)

弁護士法人若井綜合法律事務所

風俗トラブルや男女トラブル、それに伴う刑事事件まで一貫して対応。累計相談件数は男女トラブル約23,000件、風俗トラブル約8,000件。全国からの相談を24時間受け付け、迅速な対応を心がけています。

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