マナーうんちく話456≪乾杯と献杯③献杯の意味とマナー≫
暑い最中ですが、盆過ぎになると「盆トンボ」が多く飛び交うようになりました。
盆は日本の祖霊信仰と仏教の思想が融合した行事ですが、「盆トンボ」は「精霊トンボ」とも呼ばれます。
精霊とはご先祖様などの死者の霊魂の意味で、精霊トンボは盆に里帰りした霊魂を見送る役目があるといわれています。
だから捕獲してはいけないといわれている地域もあるようです。
初秋の情景が何となく物悲しく思えるのは、そのためかもしれませんね。
亡くなった人を偲び、夏という季節の終わりを見届け、秋を迎えたいものですね。
お盆の行事が一段落したところで、今回は改めて「弔いの作法」に触れてみます。
●大きく変化した結婚や葬儀の方法
地域差も大きいと思いますが、今から30年くらい前から結婚式の在り方が非常に変化してきましたが、その時、結婚式の次は葬儀の在り方も変わるのではと思っていました。
つまり冠婚葬祭が激変してきたということです。
特に結婚式や葬式は大きく変わりましたね。
理由は価値観の変化や人間関係、つまり地縁や血縁が希薄してきたということでしょう。
共通点はいずれも、従来の「家」から「個」になったということです。
また儀礼や習慣ではなく形式にこだわらない自由なスタイルになりました。
さらに豪華に執り行うのではなく、あまりお金をかけず質素にものがふえたようです。
加えて商業的に、新たなスタイルが提案されてきたことも多いと思います。
●多様化した弔い方法
昔の人は、いつかは自分自身にもやってくる死というものを、とても畏(おそ)れ、忌んできたようですが、鎌倉時代になって、広く仏教の教えが広まり、やがて先祖の霊は神格化され、「ご先祖様」として大切にされてきました。
そして、葬儀が仏の教えにより執り行われるようになり、江戸中期になると、庶民が墓石を立てるようになったといわれています。
ちなみに埋葬や葬送儀礼に見られる弔いの方法は、今後デジタル化、核家族化、人口減少、超高齢化、地価の高騰等の影響を受け、大きく異なってくるでしょう。
それに伴い、形式にとらわれない自由葬などの、新たなスタイルが提案されてくると、今までの知識や作法が通じなくなってくるかもしれません。
ではどうする。
そんな状況下で出来ることを考えたいと思います。
●すべきこと、してはならないことを見極める
葬儀は厳守な儀式だけに「すべきこと」と「してはならないこと」が比較的明確に分かれています。
ただそれらがすべて知識として備わっていないので、判断に戸惑うことも多々あるでしょう。
弔いの作法で特に大事なことは、心から哀悼を表し、最後のお別れを行うことだと考えます。
ポイントは「なぜそうするのか」という合理的な理由を正しく理解することです。
次に故人を偲ぶとともに、遺族に対し思いやりを発揮することではないでしょうか。
ちなみに「哀悼(あいとう)」とは人の死を悲しみ悼む(いたむ)ことで、偲ぶ(しのぶ)とは故人思い出を懐かしむことです。
弔う(とむらう)とは、儀式などを通じて死者の霊を慰める意味です。
最近は情報開示しない人も結構いますが、長い人生突然に訃報を受ける場合も
あります。
なにをさておいても通夜に駆け付ける体制を作ることが大事だと考えます。
とはいえ訃報というものは予定されていることではないので、どうしても参列できないこともあります。
このようなときには代理を立てるとか、弔電を打つとか、できる範囲でお悔やみの気持ちを伝えたいものです。
また妊娠中は参列を控えた方がいいという考えもあるようですが、これは妊婦への配慮で、故人への礼儀ではありません。
妊婦が身体に自信があり、参列することを希望すれば、参列されたらいいと考えます。
香典は通夜や葬儀の際、受付で渡せばいいですが、受付がない場合は祭壇に供えるか、遺族に渡せばいいでしょう。
ちなみに不祝儀袋にお札を入れる時に、祝儀とは逆で、札の肖像画が封筒の表面に対し、裏面・下側になるよう入れるといわれていますが、そんなにこだわらなくてもいいという意見もあります。
香典の本来の意味を考えると、私はあまりこだわる必要はないと思っています。
最後に葬儀は、人が本能的に亡くなった人を悼む気持ちを社会的に表現したものだといわれていますが、これは社会性や文化の原点と言えるのではないでしょうか。
従って「死」をどのように捉え、どのように弔うかは、社会構造や宗教などと非常に深い関係があると思います。
今ではあまり耳にしなくなりましたが「村八部「ということばがあります。
村に不義理を働いたら成人式、結婚、出産、新築、病気見舞い等、日常生活の中で大切といわれている10項目の中の8項目において、制裁を受けるわけですが、火事と葬儀だけは免除されるということです。
それくらい弔いは大事だったわけですが、それが近年急激に変わっています。
いくら地位や権力や財産が有ろうが、自分の葬儀を自分で取り仕切ることはできません。
他人に依存しなければいけないということです。
つまり、いざという時のために、自分の変わりに取り仕切ってくれる人を確保しておくということです。
要は日頃の人間関係が大事だということです。



