マナーうんちく話143≪昔と今、どう違う恋愛事情≫
ホテルでの結婚式の仕事が板に着いてきて、この仕事に「生きがい」というものを感じられるようになったのは1990年の頃ですが、丁度この頃から、日本における恋愛観・結婚観そして結婚式の様子が大きく変化してきました。
特に、バブル期の1980年後半から1990年の初めの頃の豪華披露宴から、入籍だけで済ませる「ジミ婚」へと、大きく様変わりしたのがこの頃です。
従来の結婚観とかけ離れてきたので、新郎・新婦と両親の間に大きなギャップが生じ、思わぬ展開に至るケースもよくありました。「世間体」を重視する親世代の感覚と、無駄や形式を排除し、何もかも「合理的」にする新郎・新婦とのミスマッチです。
中でも当時一番もめたのが、「結納」と「仲人」だったように記憶しています。
若い新郎・新婦には、ネットやブライダル情報誌に掲載されている内容が一般的で、「仲人」の存在や「結納」の意義が、あまり重要視されないのは残念なことだと感じます。
礼儀・作法と同じように、「しきたり」や「伝統」には必ず合理的な理由が有ります。
時代がいかに変わろうとも、それらはとても大切な意味を持っており、現代社会においても、参考になることは沢山あります。
とくに、「絆」が大きくクローズアップされた今、「和の精神」を尊ぶ日本社会に、何百年も根付いてきた「しきたり」には、そのヒントが凝縮されています。「結納の儀式」などは典型的な例です。新郎・新婦も親も、このことを認識して頂きたいものです。
前々回のコラムで、母親が、花嫁の「文金高島田」に忍ばせた小判のお話をしましたが、今回は結婚時の「持参金」のお話しです。
持参金は、日本のみならず、世界中のあちらこちらで見られる習慣ですが、一般的には「嫁ぐ際に、新婦が持参するお金」です。地方によってはお金のみならず、家財道具・貴金属・電化製品なども含まれる所も有ります。
また結納時に、新郎から頂いたお金を持参金として持っていくこともあります。さらに、貧乏な新郎と金持ちの新婦が結婚する時、新婦が生活資金として持参する例も有ります。
このように持参金の目的や意味は様々で、今ではあまり耳にすることが無くなりましたが、江戸時代には殆どの場合において持参金は有ったようです。
そして持参したお金は、新婦個人が好きに使用するケースも有り、また旦那のモノになるケースもありました。但し、旦那のモノになった場合でも、離婚ということになれば、この持参金全てを妻に返さなくてはいけない義務があったようです。
ちなみに、江戸時代の離婚率は今より高い数字です。
特に、夫は簡単に妻に離婚を切り出すことができたようですが、その時に書くのが「三行半(みくだりはん)」です。
この三行半は、夫から妻への離婚通知ですが、この時に持参金もすべて支払う義務が有ったので、お金が払えなかったら離婚したくてもできなかったわけですね。その視点からすれば、妻が持参する持参金には、離婚防止の御守りの意味があったのかも知れませんね。
また、三行半は一方的な離婚通知のようですが、これが有れば、妻は、誰と、いつ再婚しても良かったわけですから、妻への思いやりを文章で表現したものかもしれませんね。
ところで、時代と共に大きく変化した、恋愛観・結婚観・結婚スタイルですが、いつの世も結婚が現実的ななれば気になるのがお金ではないでしょうか?
「結婚するにはお金がかかる!」ということは、ある程度は覚悟していたが、現実となると、どうしたら良いのかわからない。というケースも多々あります。
不安が多ければ多いほど、人のことが気になるし、氾濫する情報に惑われやすいものです。
結納金・持参金・結婚式にかける費用などは、一般的には社会状況の影響を受けやすいのですが、個人差も大きいモノです。親もしかりです。
しかし、親も、お金が無いから二人の自由にさす、「口も出さないがおカネも出さないよ!」ではなく、親として、本当に大切な事をキチンとアドバイスして頂きたいと思います。
お金は無くとも幸せな結婚はできます。
豪華披露宴を挙げたから結婚生活がハッピーになる保証はどこにもありません。
結婚して幸せな家庭を築くのに必要なのは、「愛情」と「マナー」と「教養」、そして「家事能力」だと私は思っています。
そして、これこそ、嫁ぐ花嫁の最高の持参金ではないでしょうか?