人を愛するとなぜこんなに苦しいのか ~愛という苦しみを乗り越えるために出来る事~
人はどうして人を好きになるのでしょうか?
人が人を好きになる仕組み。
当たり前のようでわかってないこの仕組みについて
単なる自然の摂理で済ますこともできそうですが
学術的に研究してみると面白いかもしれません。
フェロモンの影響などすでに様々な研究がなされてますが
私は人を好きになるというより
(その人の持つ)遺伝子を好きになるのではないかと考えます。
遺伝子を好きにというより、遺伝子を求めると言いましょうか。
人は遺伝子を求めて(欲して)最終的にこの人が好きあの人が好きと
好きになるという感情に行き着くのではないでしょうか。
人を好きになるといっても
同性間などトランスジェンダーや友情の中で芽生える好きという感情もありますので
ここでは生物学的に男女間に限った話で進めていきたいと思いますが
遺伝子を求めるということは、優秀な遺伝子を残していく子孫繁栄の仕組みが働いて
人類の進化や存続、そして多様性を生む原動力になっているのでしょう。
例えば一つ例を挙げてみますと
野球の大谷選手といえば誰の目に見ても優れた遺伝子を備えていることが
(個人的な好き嫌いとは無関係に)知識としてわかるでしょう。
私たちはファンとしてやその活躍やルックスに魅了されて
大谷選手を好きだと認識してると思いますが(好き嫌いの判断)
実はこうした表面的な影響から来るものというより
その人の持つ遺伝子を求めて好きという感情になっているのではないかということです。
これは女性から男性に対する欲求というわけではなく
男性から女性に対してその遺伝子を求めるのも同様です。
その根拠というわけではありませんが
確かに子どもを持ってからも夫婦円満というご家庭もありますが
多く見られるケースとしては
最初は恋人同士好き同士の関係であったとしても
子どもが産まれてからは優先度がパートナーから子どもにシフトします。
単に好き者同士だった関係から
自分たちの遺伝子を受け継いだ子どもが産まれてからは
我が子に対して愛情が注がれるようになり
パートナーは優先度が下がるどころか、目障りに感じてしまう事はないでしょうか?
(自分の意図とは関係なく)求める遺伝子が得られてからは
パートナーへの好きという感情も次第に薄れていってしまいます。
(消失してしまう場合も)
あんなに好きだった感情はどこへいってしまったのでしょうか?
言い方は乱暴ですが
遺伝子さえ手に入ったらあとはどうでもよくなる。
感情的に捉えたらそんなことはないと反論を受けると思いますが
これを生物学的に考えた場合
やはりそのような仕組みが働いてるのではないかと考えるわけです。
ですので今どなたか好きな対象がいる場合
それは好きという感情以前に
もしかすると遺伝子を求めている(欲している)のではないかと疑ってみてはいかがでしょうか?
いずれにしても好きなことには違いないですが
確かにそうかも知れないと納得する部分もあるかもしれませんよ。



