なぜ人は自分の好きな人の事をもっと知りたいと思うのか?
京都の土地は碁盤の目と言われ
方向などわかりやすくて道にも迷いにくく
一本違う筋(道)に入ってもすぐに戻ってこられると思われています。
ですが実際は地元の人間でも土地勘がなければ地図を見なければ迷いますし
迷ってもすぐ戻ってこられると思いながら進んでいると
ここどこ?なんて現在地がわからなくなって結局道を尋ねることになります。
それはむしろどこの筋も同じような風景(構造)が続いているからではないでしょうか。
確かに大阪や東京といった複雑な構造から比べれば
京都は比較的迷いにくいと言えるのかもしれませんが
碁盤の目だからといって道に迷わない
現在地を把握しやすいとは限らないようです。
実はこれ、徒歩移動を基準にした話であり
車での移動となるとむしろわかりにくさが増してしまいます。
道の作りは碁盤の目であったとしても
京都の街中は一方通行ばかりで
ひと度筋を違えばなかなかもとに戻ってくるのは難しいですし
そのまま目的地に進もうとしてもどう行けば良いのか
その行き方で迷ってしまいます。
しかも碁盤の目と言ってもすべての通りが直線ではなく
微妙に入り組んでいたりどこかで曲がっていたりして
完全な碁盤の目にはなってないんですね。
更には脇道に入れば細い道ばかりですので
歩行者もいれば電信棒もあり
道幅が狭すぎて車体を擦ってしまったりそもそも通れないなど
どん突き(行き止まり)に当たって進退窮まるなんてことも起こり得ます。
京都の道は思ってるよりそう簡単ではないんですね。
どこここ?ということが普通に起こる京都の道。
行き過ぎたって次の角曲がったらいいだけやろでは済まない
ある意味複雑な道路事情を抱える京の径(みち)ですので
皆さん京都にお越しの際は道を誤り冥界に迷い込まないように
くれぐれもお気をつけください。