無責任な安楽死の否定
令和元年。10月22日に即位礼正殿の儀が執り行われましたが
表面的には祝賀モードに包まれる一方で
こうした皇室に関する儀式や祭典の際に必ずといって言われるのが
天皇制に対する異論や反対論です。
天皇制については象徴天皇や政治利用などの問題点が挙げられ
これまでの歴史について(特に太平洋戦争中のイメージにより)
時代に合わないような言われ方をされて廃止議論も盛んに言われています。
しかしよく考えてみると
天皇制とは果たして本当に時代に合わないものなのでしょうか?
まず断っておきたいのが
私は天皇制を擁護するつもりもなければ反対派でもありません。
あくまで客観的に考えてみた場合をお話しています。
時代に合わないという言葉をそのまま受け取ってみると
古い慣習に染まった、必要のない(あるいは改めるべき、廃止するべき)
存続することが適切でないというニュアンスが含まれていると思います。
ではこのような観点から考えてみた天皇制について
果たして本当に時代に合わないと言えるのかと言いますと
私は決して合わないとは言えないと思うんですね。
諸外国でも王室のような制度があるように
この日本でも天皇制があるからこそ
年中行事や催事(祭事)を始め
災害復興や振興の際にも大きな力になってくれるのではないでしょうか?
天皇陛下を始め、皇族の方々が尽力して頂いてるからこそ
日本の繁栄や発展に大きく貢献されているのだと思いますし
特に外交に関しては諸外国との友好関係(国際親善)にも多大な影響を与えているのだと思います。
だからこそ今回の即位礼の際にも
普段は反日を掲げる近隣諸国からも祝福されたのだと思うんですね。
天皇制が単に戦争責任の対象でしかないなら
わざわざこの日本に赴いて祝福なんてしていただけません。
このように国民への激励や国家の発展
そして外交面においても皇室の果たす役割は大きなものですし
天皇制があるからこそ繁栄にもつながってると思うんですね。
儀式や催事に費やされる税金についても
私は決して税金の無駄遣いだとは感じません。
もちろん摘便見直す必要はあるかと思いますが
税金の話で言いますと、もっと無駄な使われ方もされてますから。
そちらの方こそ見直さなければならないのではないでしょうか?
無用な国防費(軍事費)に多額の税金を投入するより
天皇制への平和貢献として税金を投入されるほうが
よっぽど建設的な使われ方ではないでしょうか?
私は決して天皇制は時代に合わないとは言えないと思います。
それでは制度ではなく、単に個人的な立場で(本当にごく普通の一般人として)
天皇陛下(及び皇族の方々)が催事や慈善事業に取り組まれているだけだとしたら
果たして本当に今のような貢献度につながっているでしょうか?
それではボランティア活動をしている人と何ら変わりはありませんし
天皇制における皇族の方々の活動だからこそ
これほど大きな貢献につながってると思うんですね。
一個人で(あるいは団体単位で)出来る活動など
それでも大きな貢献度ではあっても限度は知れているのです。
国家事業の一つとして、天皇制における活動だからこそ
その貢献度も一個人を超えて大きな貢献度につながるのではないでしょうか?
何でも時代に合わないからとよく考えもしないで
自分の持つ印象だけで廃止を推奨すれば良いのではありません。
そんな中で恩赦のようなしっかり司法で決定された判決に対する
意味のわからない情状酌量のような
被害者感情を無視したような時代錯誤の制度の実施こそ
本当に時代に合わない制度だと言えるのではないかと思います。
確かに天皇制に関する問題点や課題なども依然として多いものの
戦争責任や税金の無駄遣いといった負の一面ばかりを見て
実情を踏まえない短絡的な考えこそ本当に見直さなければならないと思うのです。
だからこそ私は天皇制の存続を望んだり反対する立場ではなく
もっと深く掘り下げて向き合っていかなければならない問題なのではないかと考えています。
それこそどちらが正しいか正解かといった答えのない問題なのですから。