宇宙の構造理解は人間心理の理解でもある ~宇宙を知ればどんな悩みもちっぽけなものになる~
人は何かを知覚(感知)するとき、今その瞬間に起こった出来事を感じてると思ってますが
実際は何か出来事が起こってから(事象が発生してから)人が知覚するまでの間には
わずかなズレがあることが確認されています。
そのズレはほんの一瞬ですから、人はその瞬間に発生したものだと感じてますが
ある事象が発生してから人が知覚するまでは
実際にはわずかに遅れて感じているのです。
つまり私たちが何かの事象を知覚する前には
すでにその出来事は発生し終えているということ。
例えば自分(歩行者)と自動車の交通事故が発生したとします。
自動車が自分にぶつかった瞬間に(接触したのと同時に)その衝撃を感じると思っていますが
実際衝撃が発生してから自分自身にその衝撃が伝わるまでには(感じるまでには)
わずかな遅れが生じているというわけですね。
ですから衝撃が起こった瞬間にはまだ私たちは何も感じていないということが言えます。
これは限りなく時間を引き伸ばして考察した場合の結果ですから
実際私たちが感じる感覚としては衝撃が発生したのと同時にその感覚を感じていると思っているのです。
人が何かの事象を知覚する前にはその事象はすでに発生し終えてるということがおわかりいただけましたでしょうか?
この事実から考えてみると、例えば人の死の問題についても
人には自分の死の瞬間がわからない(知覚できない)といことが言えるんですね。
つまり自分は自分で自分が死んだことには気づけないのです。
自分の死を気づけないまま人は死んでしまっているのですね。
もちろんそれ以降(死んでから)の感覚はありませんから
自分が生きているか死んでいるのかももはや知覚することはできません。
人は死に対する不安や恐怖はあったとしても
死そのものを知覚することもなければ苦しむこともないんですね。
人はすべからく苦しまずに(感覚的な痛みなど感じることなく)死に絶えるということです。
人は死の瞬間や死、そのものが怖いのではなく
死んでしまう、この世から居なくなるということに対して怖いのかもしれません。
つまり生きているから死が怖かったり苦しむのであって
実際死の瞬間には私たちは何も感じないまま死に絶えてるわけですね。
自分が死んだことにも気づかないのです。
ちょうど自分で自分が眠りに落ちる瞬間はわからないのと同じです。
自分で今眠った!なんてその境界はわかりませんよね。
いつの間にか眠っている、気づいたときには(気づく、つまり知覚する前には)
すでに眠っていて自分ではわからない。
人の死もそれと同じわけです。
生命にはこのような仕組みが働いているからこそ
生と死の循環が上手く機能しているのだと言えるでしょう。
もし死の瞬間や絶命の瞬間を自分で感じることが出来たら
これほどの恐怖はありません。
むしろ生きるということがかえって想像を絶する苦しみに変わってしまうことでしょう。
そんな絶望の中で生きなくても良いように
ちょうど良いバランスの中で私たちは生きているのかもしれません。
人は感覚を磨けば磨くほど
その感覚を永遠のものにすることができます。(引き伸ばせる)
つまり死の知覚(感じるまでの間)を遅らせ、その苦しみを遠ざけることができるのです。
今死ぬと思って死ぬのか、自分の死をさとらぬまま死ぬのかという違いとでも言いましょうか。
考えれば考えるほど難しいかもしれませんが
頭で考えるのではなく感覚で感じてみてください。
人はそれほど大して死に怯えなくても良いのかもしれませんよ。