超ゴム理論の応用 ~年齢によって時間の感覚に違いを感じるワケ:前編~
皆さんは時間は常に一定だと思ってませんか?
誰にとっても平等で等しいものであると。
人間関係や心の悩みでも
実はここに大きな落とし穴があるんですね。
私たちは常々、人間は生まれてから皆同じ時間が流れ
同じ月日を経過し
年を取っていくだなんて思い込んでますが
そもそもこの概念こそが大きな間違いなのです。
(ここでは詳しく解説しませんが、これが超ゴム理論の概念です)
それぞれ子供の成長スピード、発達の度合いが違うように
なぜ幼児期だったら皆同じ幼児なのか
就学して一年生になれば、なぜ皆同じ一年生なのか
(そうでなければならないと思ってるのか)
二年生、三年生と、どうして1年という時間の単位で
皆一括りにまとめて考えるのでしょうか?
新たな時間の概念、超ゴム理論でも言ってるように
時間の流れはそれぞれに等しいものではなく、一定ではありません。
(必ず差が生じる)
つまり個々によってバラバラなのに
子供だったら子供らしい月日の過ごし方
大人だったら大人の振る舞いが求められ
皆がそれぞれ同じ状態である事を要求され(むしろ強要され)てるのが
今の世の中、人間社会です。
例えば私なんかですと
比較的ゆっくりと、穏やかに人生の時間が流れているのに
社会は一定の基準を要求し、自分の時間軸で生きるのを許してくれません。
何に対しても、常にスピードを要求されるのですが
そもそもゆったりとした時間の流れの人間が
いくら頑張って急いだところで限界があるんですね。
自分に合ってない時間の流れに無理に合わせようとするわけですから
そこにズレが生じてしまい
逆に能率が落ちたり失敗が増えてしまう結果になるわけです。
その逆も然り
時間の感覚が早い人が、いくら遅い人に合わせようとしてもイライラするばかりで
むしろそんな事が出来ると思い込んでるのがそもそもの間違いなんです。
例えば1年を1年という時間をかけて生きる人と
1年を半年の時間をかけて生きる人
1年を5年分の時間をかけて生きる人とは
同じ1年という時間の単位でも
根本的に時間の流れやその感覚が違うのがわかるでしょう。
そしてこの時間の流れは、自分の意思でコントロール出来るようなものではありません。
ですから例えば子供の成長が遅れてるように思うのでも
実際は遅れてるのではなく
その子の人生という時間の流れ方がゆっくりなだけなんですね。
それより早い時間を基準にするから、つい遅れてるように思うだけです。
もしかするとその子にとっては、本来自分の時間軸には見合わない
驚異的なスピードで成長してるのかもしれないのですから。
話し始めるとまだまだ終わりませんので
今回はここまでに致しますが
こうして次回まで期待してただ待ってるのではなく
自ら進んで行動していった方が、人生は自分の思うような人生になりますよ。
(つまり相手の時間軸に合わせようとするからしんどくなるんですね)
京都カウンセリングラウンジ
宮本 章太郎
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