制限の良し悪し
私は学生時代から
心理学に興味を持ち、
生活心理学を研究して建築の
インテリアに取り入れていました。
それが現在の
住環境習慣コンディショニングに
結びついたような気がします。
脳の性質を理解すれば、
悪習感に良習慣を上書きできます。
とは言え、悪習感は消えてなくなりません。
油断すると、すぐ悪習感が顔を覗けます。
記憶と言えば、お袋の場合、
2、3分前に話したことが
まったく記憶にないので、
普段、気になっていることや
不安なことを、再三、質問してきます。
答えてもすぐに忘れるので
こちらが面倒くさくなり、
いい加減に答えたり、怒ったりすると、
相手の感情の動きに敏感なので
怖がって自分の中に閉じこもります。
お袋の口癖は、
「私はアホになってしもうた」
記憶がなくなることを本人も理解しています。
生活していても、
自分が何のために存在しているのか
解らなくなるのでしょう。
「私は死んだほうがええ」などと
言いながら、あっちでウロウロ
こっちでウロウロ。
私が”何を探しているん?”と聴いても
「何を探しているのかわからん」
と、こんな感じです。
記憶というのは
良いことも悪いことも一定期間、
留めておかないと、行動の整理整頓ができません。
お袋は、暮らす目的が理解できないので
自分が何のために毎日、食事をし、
何でヘルパーさんが来ているのか
理解していない時があります。
自分がどのように生活しているのか
何のために生きているのか
誰のために存在しているのか解らないのが
不安でしょうがないのでしょう。
記憶がなくなると、
生きる意味さえ理解できず、
まるで空気によどみが湧いてくると、
それに反応するような感じです。
生きていると
何もかも嫌になる時もあります。
何で自分だけがこんな仕打ちを
受けるのだろうと
卑屈になることもあります。
楽しくて楽しくて
こんな時間が永遠に続けばいいと
思うこともあります。
四季折々の感情の動きを
楽しむこともできます。
様々な出来事から湧き出る感情を
素直に受け入れ、1つひとつを
積み上げていくことが記憶を大切する
ということでしょうか。
【小さな実践】
1分しか記憶が残らないとしたら
どのように生活をするか考えてみる