たった45分のレッスンで歩きやすくなるナイトピラティス
皆様こんにちは!
福岡県朝倉市にある、医療法人安岡医院併設
フクラメディカルフィットネス、トレーナーの
山下純司です。
コロナ禍により、自宅でヨガやピラティスなどの
動画を見ながら運動を
実施する方が増えているようです!
当施設でも、
ヨガ、ピラティスのスタジオプログラムを
実施しておりますが、
よくある質問で、「ピラティスって何? どんな効果があるの?」
ということを良く耳にしますので、今回はピラティスについて投稿します。
まず、ピラティスとは?
人の名前です^^正式には、
ジョセフ・ヒューバータス・ピラティスです。
ここからの文章は下記のURLから一部抜粋
させていただきました。
ピラティスヒストリー
1883年にドイツで生まれ、幼少時代はリウマチ熱、くる病、喘息などを患い非常に病弱だったと言われています。彼は、体操選手やボクサーとしても活躍していた父の影響を受け、街にあったスポーツセンターで、体操やボクシング、禅、ヨガ、スキーなど、あらゆるトレーニングに取り組み鍛錬を重ねました。14歳の頃には彼の身体は十分に発達し、解剖学書や芸術家の身体モデルにもなるほどでした。
このように身体を鍛錬することに非常に熱心だったピラティス氏は、第一次世界大戦が勃発した時にはイギリスでボクサー及び護身術の指導者として働いていました。その際に彼は敵国の異邦人だと見なされ、マン島での拘留生活を送ることになったのです。
マン島では、彼自身が日々取り組んでいたワークアウトを、他の拘留者と一緒に取り組むようになりました。1918年にはインフルエンザ(スペイン風邪)が世界的に大流行し拘留所でも深刻な事態となりました。ですが、彼と一緒にワークアウトに取り組んでいた人は誰一人感染しなかったことを、後年になり誇らしく語っていたと言います。
さらにマン島では看護師として働き、負傷者にとってどのようにすれば寝たままで身体を強化し、機能を改善させられるかを考えました。その結果、ベッドのマットレスのスプリングを取り外してオリジナルのリハビリのためのトレーニング器具を創り出しました。これは、後にキャデラック(またはトラピーズテーブル)と呼ばれるようになったピラティス専用器具の基盤となっています。ピラティス氏は、その後も生涯においてクライアントに必要な器具を数多く発明ししていきました。
戦争が終わりドイツへ帰国した彼は、1926 年にニューヨークへ渡りました。そして自分の考案したエクササイズを広めるため、ニューヨークにスタジオを開きました。彼のメソッドは怪我から多くの人々を奇跡的に回復させ、ダンサー達を中心に徐々に噂が広まり、素晴らしい結果を残していきました。ピラティス氏は、この画期的なメソッドが医学の世界や学校教育にも取入れられることを強く望んでいました。そして、すべての人が生涯の健康のため、このメソッドに取り組むべきだと信じていました。しかし当時はまだ、この機能的なエクササイズを受入れてもらうことが難しく、非常に落胆していたと言います。そして、その無念の想いを「僕のメソッドは50年はやすぎた」という言葉で表現していました。
ピラティス専用のスタジオでは、
専用のマシン(リフォーマーやチェアという器械)を使って、偏った体の動きを、理想的な動きへと
導く指導を安全に受けることができます。
一般的なスポーツクラブにある筋トレマシンとは違い、過剰な負荷を掛けることなく、
動きに集中するので、初心者の方にもお勧めです。
ちなみに、フクラメディカルフィットネスのスタジオプログラムのピラティスレッスは、
専用の器械ではなく、マットを敷いて、エクササイズボールなどの専用の道具を利用し
自分の意志で、体をコントロールできる能力を養っていただく内容です。
器械に比べると、少々レベルは上がりますが、日常生活での様々な動きの改善には、
この感覚をしっかり磨く必要があります。
どんなことをやるかというと…
骨盤の動きを感じたり、
呼吸で肋骨の動きを感じたり…
一般的な筋トレに比べると、最初は地味なエクササイズがメインになります。
しかし、この地味なエクササイズの積み重ねにより、様々な効果が期待できます。
・腕を上げるのが楽になる
・お腹の形が整う
・太ももがスッキリする
・二の腕がスッキリする…
※個人差はあります
巷では、ピラティスは体幹のトレーニング…とか、
腹筋のトレーニング
と言われてるようですが、
それはメソッドのほんの一部にしか過ぎません(笑)
興味のある方は、フクラメディカルフィットネスへ
お問い合わせください。