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前田利之

一人一人のコンディションに合わせたピラティスのプロ

前田利之(まえだとしゆき) / ヨガ・ピラティスインストラクター

ピラティススタジオMAEDA

コラム

ピラティスとは?

2020年3月12日 公開 / 2020年3月13日更新

テーマ:ピラティスの歴史のお話

コラムカテゴリ:美容・健康

コラムキーワード: ピラティス 基本姿勢改善 ストレッチダイエット 運動







ピラティスって何?
とよく質問される事があります。

「実は100年前にピラティスさんが考えたエクササイズなんですよ」ってお話をすると
『え?!ピラティスって人の名前なの?』
って驚かれる方が多いです。

今回はピラティスさんのお話をさせて頂きます。


ジョセフH. ピラティス
(1880-1967)

_1926年、移民としてジョセフ、ビューベルト ピラティス、ことピラティス氏
とその妻クララの二人は、ニューヨークへ降り立ちました。
ピラティス氏は、運動障害のリハビリテーションと身体運動についての創造的かつめざましいアイデアを持つ青年でした。
1883年に生まれたピラティス氏は、幼少時、リウマチ熱や喘息、くる病に悩まされ、呼吸器系が弱く病弱でした。
病弱な自分の身体にコンプレックスを持っていたため、ヨガやダンス・体操・ボクシングなど様々な運動やスポーツの要素を組み合わせ、独自のエクササイズを開発して自己鍛錬に励んだといわれています。

第一次大戦中、看護助手のようなかたちで、病棟勤務員として負傷兵のサポートに従事するようになります。
ケガをし、寝たきりになってしまった人達のために、自身が編み出したエクササイズをリハビリに応用できないかと考案し、指導したことが現在のピラティスの始まりといわれています。
負傷した人が寝たままでもトレーニングを効果的に行う方法を考え、当時使っていたベッドのマットを外して器具を取り付けトレーニングに利用したのもこの頃です。
これが現在のピラティスマシンの“リフォーマー”や“キャデラック”と呼ばれるマシーンの始まりだと言われています。

1926年、ニューヨークの939 8th Avenue に、ピラティス氏はエクササイズスタジオを立ち上げ、1940年代にはダンス界においてその名を広く知られるようになりました。
そして1960年代初期には、ニューヨークの多くの有名ダンサーが彼のクライアントとなっていました。彼の名前はニューヨーク以外でも知られるようになりました。

多くのダンサーの信頼を得て、スポーツ医学の分野で有名な整形外科医にまで認められるようになり、ダンサーやスポーツ選手を中心にピラティスを普及させました。
(現在のピラティスメソッドはダンサーやフィットネス業界だけでなく、リハビリなどの医療現場や、シニア向けの施設などでも取り入れられています。)
 
彼は2冊の著書を出版しています。
「YOUR HEALTH」「Return to Life」
著書の中では実践のエクササイズの説明以外にも、彼の考え方などを執筆されています。

1967年、スタジオが火事で焼けてしまい、その後すぐに、煙を吸い込んだ後遺症で亡くなりました。
彼の妻クララが、亡くなる1977年までスタジオは続きました。

彼の考案したエクササイズは
『ピラティス』の名前で次の世代へと受け継がれていき
現代に至るわけです。

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