口やかましく言われる人ほど、人より早く出世・成長する
私が思うに、人がほんとに最期の最期に死ぬ時というのは
夢を見ながら死ぬんじゃないかなと思うんです。
夢と言っても夢を見ながらというような死に方ではなく
その瞬間を味わうと言いますか、夢の中の感覚に落ちると言いますか
一切の苦しみのないように、脳が快楽物質などのホルモンを大量に(しかも異常に)放出して
まるで夢の中にいるような感覚を味わったまま死に至るのではないかと思うのです。
もちろん死の瞬間までは(まだ生きている間は)感覚が残ってるので
痛みなど様々な苦しみは感じていると思いますが
私が言ってるのはほんとに死を迎えるその瞬間、その直前の状態の感覚です。
奇跡的に死の淵から生還し、臨死体験をした人でも
お花畑が見えた、三途の川が見えた、死んだはずのおじいちゃんおばあちゃんと出会ったなど
まるで夢でも見てたかのようなお話をされます。
しかもそれはよりリアルな現実味を帯びた実感として語られるわけです。
つまり脳が放出するホルモンの作用によって(必ずしも何らかのホルモンとは限りませんが)
幻覚の症状や夢のような感覚を体験させるのではないかということ。
そしてそれが(生還できた場合は)臨死体験であるわけです。
私たちが寝てる時に見る夢は悠久です。
夢を体験している時は時間の感覚はありません。
目が覚めた時にどれだけ時間が経ったかなど詳細にわかるでしょうか?
眠りに就いてからまだほとんど時間が経ってなかったり
今さっき寝たとこだと思ってたらもう何時間も寝ていたなど
私たちが起きている時に感じているような時間の感覚はないのです。
そして夢を見ている時は自分が生きているのか死んでいるのかもわかりませんし(その感覚がない)
実際夢の中ではどのような状況でも(事態に陥っても)決して死ぬことはありません。
夢の中ではいくら死のうとしても(例え殺されたとしても)死なないのです。
私が思うのは、そういう感覚の中で実際に死んでいく。
本当に死んでしまう。
つまり夢の中での死がその人の本当の死なのではないかと考えるんですね。
(死なないはずの夢の中でそのまま本当の死を遂げる)
そこでもし生還できたなら臨死体験として夢でも見ていたかのようにお話されるのはこのためです。
(夢を見ている間は時間の感覚が麻痺しているということにも由来する)
ですから人が意識を失って今まさに死を迎える瞬間というのは(今わの際)
ホルモンの働きか何かで夢の感覚を味わいながら実際に死に至るのではないかと考えるのです。
本人にとっては夢なのか現実なのかわからないまま
まさに夢の中の感覚のまま、そのまま現実の死に至るのではないでしょうか?
だから死のその瞬間は一切の苦しみを感じないのです。
むしろ幸福感や快楽を感じているというわけです。
といっても生還できなければそのまま死んでしまうので自分が何を感じていたのかもわからないのですが。
そしてそこではやはり時間は悠久です。
死と同時に時間が悠久化するのです。
(死ぬと時間が経たない、止まってしまう。あくまで感覚としての時間)
もう二度と起きることはありませんから
生きてた時のような時間の感覚は失われるわけです。
人間の体、そして人の死とは不思議なものですが
これも私たちはしょせん宇宙の物質の一部に過ぎないのだと考えれば
特に不思議なことでも何でもないのかもしれませんね。
実際人の死は臨死体験で語られる事柄でしか本当の死の真相はわからないわけですから
想像と推測でしかものは言えませんが
死と生の境界線の謎を知る、そのヒントとなるものがもしかすると「夢」なのかもしれませんね。
そしてその夢を分析することによって
今生きている私たちの人生にも大きな影響を与えるものになるのかもしれません。
よければあなたの「夢」のお話、心理カウンセリングで聴かせていただけませんか?
そこから今を生きる私たちの人生というものを一緒に振り返っていきましょう。