早朝の2時間は宝の山
私のココロの中にいつも引っかかる2つの言葉があります。それは「偽善者」と「罪悪感」。コミュニケーションをとる上で障害になっていたのは「偽善者」でしたが、これはほとんど解消されました。
ところが、もう1つの「罪悪感」が未だに時々、顔をもたげます。その罪悪感というのは「イジメ」です。私自身も小学生の頃、イジメられていたのでイジメられた人間の気持ちを一番よく理解しているつもりでした。
しかし、いつの間にか、イジメられる側からイジメる側になっていたのです。子どもなので暴力ではありませんが、ある意味暴力より傷つく言葉のイジメ。中学生になると人間関係が変わったのでイジメはしなくなりました。
小学生の頃、ほんの数ヶ月間、イジメる側になっていた自分に罪悪感
がココロのしこりとして残っています。このような「罪悪感」とはいったい何なんでしょう。
罪悪感の中には下記のような感情が入り混じっています。
・他者を傷つけてしまったという加害者意識
・何もやる気が怒らない無気力感
・責任逃れをする無責任の後悔の念
・第三者から引き継いた罪の意識
・不幸な人に対して自分だけが幸福だという謝罪の意識
・自分の根幹に罪があると思っている罪意識
このような罪悪感は大なり小なり誰でもが持っています。ある意味、「罪悪感」と「正義・幸せ」は表裏一体なので、罪悪感は社会的な感情と言われることがあります。
罪悪感は、幼い頃から潜在的に、家族や周囲の人間関係の中で対比しながら植え付けられ「ココロのしこり」として残って解消されていない根深いものもあります。
こうしたココロのしこりは、「◯◯でなければいけない」という固定観念を次々と生みます。このような大きなココロのしこりは、すぐに解消できるものではありません。
罪悪感の解消
大きなココロのしこりがあると、些細なことでも「しこり」に結びつけて罪悪感を感じます。でも、小さな罪悪感が湧いた時が解消できるチャンスとも言えます。どんな些細な罪悪感が湧いても、下記のように自分を許して下さい。
「しょうがないね」「精一杯やったよね」「どうしょうもないね」「悪いと思ったよね」このように、自分の意思でしっかり自分を許します。
許した後に「でも・・」「しかし・・」「だけど・・」「けど・・」このような言い訳が口癖のように出そうになると思いますが、この言葉を脳から一端削除し、罪悪感がココロに残るのもOKと言って、罪悪感との共存を受け入れてみましょう。
怒りと同様、罪悪感は悪い感情ではありません。逆に罪悪感をバネにして自己肯定感を上げることもできます。
罪悪感が強すぎると正義感も強くなり、人が許せなくなります。私もそうでした。しかし、罪悪感を受け入れて事あるごとに自分を許していると、必ず人も許せるようになります。
参考になれば幸いです。
下記に参考になる記事のリンクを貼っておきます。
◇「自己肯定感を上げて「いい人」をやめる」
「いい人」をやっていると下がる自己肯定感
◇「自己肯定感を下げる3つの感情」
自己肯定感を下げる3つの感情「罪悪感」「劣等感」「不安感」
【小さな実践】
自分の根底にある罪悪感を全てノートに書き出してみる。ヒントはあなたの固定観念