「時間は平等」のウソ
花屋さんの前を通って花の香りがすると思い出す女性がいます。元彼女であり、親友です。
数年前、彼女は悪性リンパ腫と診断されました。彼女は行動的で子煩悩な子育てママのイメージしかなかったので、その話を聴いた時、すぐに受け入れることができませんでした。
彼女のリンパ腫は、脳底部にあり手術ができず投薬治療に頼るのみでした。 入院して初めてお見舞いに行った時は、まだ冗談が言えるくらい話せていたのに、日に日に衰弱してゆき、やがて言葉も表情も出なくなりました。
グラフィックデザイナーだった彼女の筆談の中のイラストは、まるで幼児期の子供が描いた絵。そのうち筆談もできなくなり、質問したことはまばたきの回数で会話していました。
当時、私はいけばな教室に通っていたので、教室で活けた花を病室で活け直しながら、独り言のように花に向かって話すことしかできなくなりました。
そんなある日の早朝、
ご主人から、彼女は眠るように逝ったと連絡ありました。
そして、彼女が他界して数年・・・
知り合いの人のお見舞いで、花屋さんで花を選んでいると、店員さんが、私が選んだ花の種類ごとに、花言葉と花にまつわる物語を教えてくれながら、「入院されている方にお話してあげて下さいね」とキラキラした笑顔で店先で見送ってくれました。
花の香りで、数年前に他界した彼女のことを想い出し、病室で花を活けたあの時、あの店員さんのように、花言葉や花にまつわる話しをしていたら、独りになった病室で、彼女が花を見た時に幸せを感じてもらえたのに・・と悔やみました。
花屋さんは花を売るのが仕事なのに、あの店員さんは、花が届いた先まで想いを届けていました。ステキですよね。
先日、通院先の病院で中庭を眺めている時に、どこかで見た風景やなぁと考えていました。実は私が去年の心肺停止で入院し、通院している病院は、彼女が入院していた病院でした。そんなことに今頃、気づく私もどうかしています。
【小さな実践】
やりたいことの先にあるのは何かを、具体的にイメージしてみる