【カスハラ対策】義務を果たしていなかったことは民事の責任を重くするのか

若井亮

若井亮

テーマ:不当要求

「うちはまだ何の体制も作っていません。もし従業員がカスタマーハラスメントで体調を崩したら、それだけで賠償責任を負うことになるのでしょうか」。2026年10月1日の施行を前に、店舗や中小企業の経営者からこうしたご質問をいただくことが増えています。逆に「規程とマニュアルは用意しました。これで責任は問われませんね」と確認を求められることもあります。

 インターネット上の解説では「措置義務に罰則はないが、安全配慮義務違反として損害賠償を請求されるおそれがある」という説明をよく見かけます。この説明そのものが誤りというわけではありません。ただ、そこから先の「では、措置を講じていなかったことは、裁判のどの場面で、どのように効いてくるのか」という部分にまで踏み込んだ説明は、あまり見当たらないのが実情です。

 この記事では、措置義務と民事の賠償責任がどういう関係に立つのかを、実際の裁判例に即して整理します。義務の内容そのものや、どこからがカスタマーハラスメントに当たるのかという判断基準は別の記事で扱っていますので、ここでは「義務を果たしていなかったことが、民事の責任にどう作用するのか」という一点に絞ってご説明します。

措置義務と民事の賠償責任は、別の仕組みです

 まず押さえておきたいのは、この2つが同じ話ではないという点です。同じ「義務」という言葉が使われているため、片方に違反すればもう片方も自動的に発生すると理解されている方が少なくありません。

措置義務に違反したときに動くのは行政の手続です

 カスタマーハラスメント対策の措置義務は、改正労働施策総合推進法33条1項に置かれています。事業主が国に対して負う、いわば公法上の義務です。講ずべき措置の具体的な中身は、同法33条4項に基づく指針(令和8年厚生労働省告示第51号)に示されています。

 この義務を果たしていない場合に動くのは、行政の手続です。厚生労働大臣による報告の求めがあり、助言・指導・勧告が段階的に行われ、勧告に従わない場合には事業主名の公表という仕組みが用意されています。パワーハラスメント防止措置と同じ枠組みで、措置義務違反そのものに対して刑事罰を科す規定は置かれていません

従業員に対する賠償責任は、別の条文から出てきます

 一方、従業員から損害賠償を請求される場面で根拠になるのは、労働契約法5条の安全配慮義務です。使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとされています。この配慮を欠いたことで従業員に損害が生じた場合、債務不履行(民法415条)や不法行為(民法709条)として賠償責任を負うことがあります。

 この義務は、カスタマーハラスメント対策の義務化によって新しく生まれたものではありません。後に見るとおり、施行前の時期にも顧客対応をめぐる事案で争われてきました。

項目措置義務従業員に対する賠償責任
根拠となる規定労働施策総合推進法33条1項と指針労働契約法5条、民法415条・709条
誰に対する義務か国に対する義務従業員に対する義務
果たさなかったときに動くもの報告の求め、助言・指導・勧告、勧告に従わない場合の公表従業員からの損害賠償請求
判断する主体行政裁判所


 つまり、措置義務に違反したという事実が、そのまま賠償義務を発生させる仕組みにはなっていません。従業員から賠償を求められた場面では、あらためて安全配慮義務の違反があったかどうかが裁判所によって判断されます。

それでも「果たしていなかったこと」は判断材料になります

 では両者は無関係かというと、そうではありません。2つの経路でつながっています。

指針は「その場面で通常求められる対応」の中身を示す資料になります

 安全配慮義務の中身は、条文に細かく書かれているわけではありません。どこまでの配慮が求められるのかは、業種、業務の内容、職場の規模、起きていた出来事の内容といった事情から、事案ごとに判断されます。

 このとき、指針が挙げる措置の内容は、その場面で事業者に通常求められる対応がどのようなものかを判断する材料になり得ます。指針は、一人で対応させないこと、一定の時間が経過したら退店を求めたり電話を終えたりしてよいと定めておくこと、といった具体例を挙げています。こうした例が公に示された後になっても何も定めていなかったという状況は、裁判の場で説明が難しくなる可能性があります。

相談を受けていたという事実は予見可能性につながります

 賠償責任の判断では、事業者がその危険を予測できたか(予見可能性)と、予測できたのに回避のための手立てを取らなかったか(結果回避義務)が問われます。

 措置義務には相談窓口を定めて周知することが含まれており、窓口があれば事業者は何が起きているかを知る立場になります。逆に言えば、従業員から相談を受けていたのに何も動かなかったという経過は、予見可能性を基礎づける事情として働きます。体制を整えることは、責任を負う場面を増やすというより、危険を早く把握して手を打てる状態を作ることにつながります。

裁判所が実際に見ているもの

 顧客からの言動をめぐって事業者の責任が争われた裁判例を見ていきます。いずれも施行前の判断ですが、裁判所が何を拾って評価しているのかが具体的に表れています。

責任が否定された例(スーパーのレジ担当)

 食品スーパーのレジを担当していた従業員が、ポイントの付与をめぐって顧客とトラブルになり、大声でなじられるなどの言動を受けた事案です。従業員は、正社員を配置しなかったこと、深夜の体制を整えなかったこと、早期にその顧客を入店拒否にしなかったことが安全配慮義務違反に当たると主張しました(東京地判平成30年11月2日)。

 裁判所は、初期対応の記載を含むテキストを配布して指導していたこと、店舗責任者が不在のときもサポートデスクや近隣店舗、エリアの責任者に連絡できる体制があったこと、深夜の時間帯も2名体制とし、トラブルが起きれば他の店員が相談や通報をできる状態にあったことなどを挙げ、義務違反を否定しました。

 また、顧客からその従業員を辞めさせるよう求められてもこれに応じず、双方に関係の修復を働きかけ、再びトラブルが起きるなら入店を断ることがあると顧客に伝えていた経過について、穏やかな措置から順に実施していたと評価し、早い段階で入店拒否にする義務まではないとしました

責任が否定された例(コールセンター)

 放送局の視聴者対応を受託していたコールセンターで、応対者がわいせつな発言や暴言を繰り返し受けていた事案です。従業員は、刑事上・民事上の法的措置を取るなどして、そうした発言に触れさせないようにすべき義務があったと主張しました(横浜地裁川崎支部判決令和3年11月30日)。

 裁判所は、監督者を配置して通話をモニタリングし対応が困難な通話を確認できるようにしていたこと、わいせつな電話は上司に転送してよい、同一人物からの2回目以降の電話は切ってよい、大声を出されたときはヘッドセットを外して転送や自動音声に切り替えてよいといったルールを定めて周知していたこと、上司から相手方に抗議や注意をしていたこと、メンタル面の相談を受けられる制度があったことなどを挙げ、義務違反を否定しています。

 法的措置については、受託している立場では強い手段を取ることが難しいこと、問題のある発言のすべてに強い手段を取ることは現実的でないことなどから、直ちに刑事告訴や損害賠償請求をする義務があるとまでは認められないと判断しました。事業者に求められる対応にも一定の限界があることを示した判断です。

責任が認められた例(夜勤中の看護師)

 他方で、責任が認められた事案もあります。夜勤中の看護師が入院患者から暴行を受けて負傷した事案では、裁判所は、不穏な患者による暴力があり得ることを前提に、ナースコールが鳴ったときは自分の担当する部屋からのものでなくても直ちに応援に駆けつけるよう、看護師全員に周知徹底すべき注意義務があったとしたうえで、これを怠ったとして安全配慮義務違反を認めています(東京地判平成25年2月19日)。

 厚生労働省の「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」でも、不適切な対応をとったことで賠償責任が認められた事例と、対応を十分に行っていたことで賠償責任が認められなかった事例とが、並べて紹介されています。

分かれ目は、規程の有無ではなく実際に動いた中身です

 3件を並べると、裁判所が評価しているものの輪郭が見えてきます。

事案会社が実際にしていたこと結論
レジ担当が顧客から暴言を受けた事案初期対応を記した資料の配布、責任者やサポート窓口への連絡ルート、深夜帯の2名体制、本人を一時的に別店舗へ、再発すれば入店を断ると顧客に伝達義務違反を否定
応対者がわいせつ電話や暴言を受けた事案通話のモニタリング、上司への転送や電話を切ってよいというルールの策定と周知、上司からの抗議、相談制度義務違反を否定
夜勤中の看護師が患者から暴行を受けた事案担当外の部屋のナースコールでも直ちに応援に向かうことを周知していなかった義務違反を認定


 拾われているのは、連絡先が決まっていたか、一人にせずに済む形があったか、対応のルールが従業員に伝わっていたか、責任者が相手方に申し入れをしたか、という実際の動きです。立派な規程が存在したかどうかではありません。

「重くなる」という言い方が正確でない部分

 ここまでを踏まえて、この記事の見出しに掲げた問いに戻ります。

措置義務違反を理由に賠償額が割り増しされる仕組みはありません

 日本の民事賠償は、実際に生じた損害を埋め合わせることを基本としています。制裁として賠償額を上乗せするという考え方は採られていません。したがって、措置義務を果たしていなかったから慰謝料が何割か増える、という計算の仕組みは存在しません

 措置義務違反が効いてくるのは、金額の段階ではなく、その手前の「そもそも安全配慮義務の違反があったといえるか」という段階です。この意味では、責任を重くするというより、責任の有無を分ける材料になる、という表現のほうが実態に近いといえます。

結果として賠償額が大きくなる筋道はあります

 もっとも、結果として金額が大きくなる経路はあります。相談を受けても手当てをしないまま状況が続けば、従業員の不調が長引き、休業や退職に至ることがあります。そうなれば、治療に要した費用や働けなかった期間に対応する部分など、賠償の対象となる損害そのものが積み上がっていきます。金額を押し上げるのは制裁的な上乗せではなく、対応がないまま経過した時間の長さです

措置を講じていれば責任を免れるわけでもありません

 逆方向についても触れておきます。書面を整えたことをもって責任の問題が終わる、という関係にもなっていません。

書面をそろえただけでは評価されにくい

 先に見た裁判例で評価されていたのは、ルールが定められていたことに加えて、それが従業員に伝わり、実際の場面で使われていたことでした。マニュアルを作成しても、現場の従業員がその存在を知らない、連絡先が実際には応答しないという状態であれば、書面があることだけで有利な事情として扱われるとは考えにくいところです。指針が求めているのは方針の明確化と周知であり、文書を作ること自体が目的ではありません。

どこまでやれば足りるかにも限界がある

 他方で、事業者に無制限の対応が求められるわけでもありません。コールセンターの事案では直ちに法的措置を取る義務までは認められないとされ、スーパーの事案でも、いきなり入店拒否に踏み切らなければならないとはされていません。求められているのは、状況に応じて段階を踏み、その都度できる手当てを重ねていくことだと読み取れます

もう一つの民事の筋道は「相談を理由とする不利益な取扱い」です

 ここまでは「やるべきことをしなかった」場合の話でしたが、民事の責任には別の入口もあります。同法33条2項は、労働者が相談を行ったことなどを理由として、解雇その他不利益な取扱いをしてはならないと定めています。

 こちらは努力義務ではなく禁止規定です。相談をした従業員を、そのことを理由に配置転換したり、契約を更新しなかったり、退職を促したりした場合、その処分の効力自体が争われ、あわせて精神的損害の賠償を求められることも考えられます。

 実務でとくに注意していただきたいのは、顧客の側から「あの従業員を辞めさせろ」「担当を外せ」と求められた場面です。先に見たスーパーの事案では、会社が顧客からの退職要求に応じなかったことが、むしろ有利な事情として評価されていました。顧客の求めに沿って従業員の処遇を動かす対応は、目の前のトラブルを収める一方で、従業員との間に新しい紛争を生む可能性があります。

小規模な事業者にとって何を意味するか

 従業員が数名という規模の事業者から、大企業と同じ体制は用意できないというお声をよくいただきます。この点についても、裁判例の読み方が参考になります。

規模に応じた形が評価された例があります

 スーパーの事案で評価されていたのは、専門の対策部署ではなく、資料の配布、連絡できる先があること、深夜も一人にしないことでした。大がかりな仕組みというより、その職場の規模で実行できる範囲の手当てです。困ったときに誰へ連絡するかを決めて書き出しておく、一人で対応させない時間帯の作り方を決めておく、断ってよい線を経営者自身が示しておく、といったところから始めることが現実的です。相談窓口の運用や就業規則との関係は、別の記事で扱っています。

記録が判断の材料になります

 裁判で「何をしていたか」が問われる以上、その中身を後から示せるかどうかが結果を左右します。相談を受けた日、伝えた内容、実際に取った措置、顧客に対して行った申入れといった経過が残っていれば、判断の材料として提出できます。記録の取り方は、クレーム対応の記録に関する記事をご覧ください。

 なお、従業員が休職に至った場合の労災の取扱いは別の記事で扱っています。労災の認定と民事の賠償責任は、判断する主体も基準も異なりますので、切り分けてお考えいただくのがよいと思います。

避けたい進め方

 ご相談を受けるなかで、後から負担が大きくなりやすいと感じる進め方を挙げます。

  • 規程やマニュアルを整えたところで止めてしまい、実際の場面で誰がどう動くかを決めていない。
  • 従業員から相談を受けた事実を記録に残さず、口頭のやり取りだけで終わらせる。
  • 顧客の求めに沿って、担当していた従業員の配置や勤務を本人の意向を確かめないまま動かす。
  • 対応の判断をすべて現場に任せ、責任者が相手方に申し入れる場面を作らない。
  • 行政から助言や指導を受けた事実を社内で共有せず、その場かぎりの対応で済ませる。


 いずれも、後日その経過を説明する必要が生じたときに材料が手元に残らないという点で共通しています。

よくあるご質問

就業規則やマニュアルを作っておけば、賠償責任を問われることはなくなりますか

 書面の整備は有利な事情になり得ますが、それだけで責任の問題が終わるわけではありません。裁判例で評価されていたのは、ルールが従業員に伝わり、実際の場面で使われていたことでした。作成した後、現場に周知し、運用してみて不都合があれば直す、という流れまで含めて考えていただくのがよいと思います。

労働局から助言や指導を受けたことは、裁判で不利に働きますか

 行政の手続と民事の訴訟は別のものですので、指導を受けた事実がそのまま安全配慮義務違反の認定につながるわけではありません。ただし、指導の前提となった事実関係、たとえば相談が上がっていたのに対応の記録がないといった事情は、証拠として提出されれば裁判所の判断材料になり得ます。

2026年10月より前に起きたことについても、指針を基準に判断されますか

 指針は、施行日以降の措置義務の内容を示すものです。他方で、安全配慮義務そのものは以前から存在し、この記事で紹介した裁判例はいずれも施行前の判断です。施行前の出来事について指針をそのまま当てはめるという関係にはありませんが、裁判所が同じような観点から事業者の対応を見てきたことは、参考になると思います。

まとめ


  1. カスタマーハラスメント対策の措置義務は労働施策総合推進法33条1項に基づく国に対する義務で、果たさなかったときに動くのは報告の求め、助言・指導・勧告、勧告に従わない場合の公表という行政の手続です。
  2. 従業員に対する賠償責任は、労働契約法5条の安全配慮義務と民法415条・709条という別の枠組みで判断されます。
  3. 措置義務に違反したという事実が、それだけで賠償義務を発生させる仕組みにはなっていません。
  4. 一方で、指針が示す措置の内容は、その場面で通常求められる対応を判断する材料になり得ます。相談を受けていたのに動かなかったという経過は、予見可能性の評価に結びつきます。
  5. 裁判例が分かれ目としてきたのは規程の有無ではなく、連絡先、一人にしない体制、ルールの周知、責任者からの申入れといった、実際に動いた中身です。
  6. 措置義務違反を理由に賠償額が割り増しされる仕組みはありませんが、対応がないまま状況が続けば、賠償の対象となる損害そのものが大きくなることはあります。
  7. 相談したことを理由とする不利益な取扱いは同法33条2項で禁止されており、措置義務とは別に、処分の効力そのものが争われる場面につながります。


カスタマーハラスメントへの対応と事業者の責任をご検討中の方へ

 弁護士法人若井綜合法律事務所では、不当な要求やカスタマーハラスメントに関するご相談を、池袋と新橋の事務所でお受けしています。どこまで応じる必要があるのか、どの段階で対応を切り替えるのか、従業員への手当てとして何を用意しておくのかといった点は、業種や職場の体制によって答えが変わります。

 現に対応が続いている案件について窓口の引き受けをご希望の場合も、施行に向けて社内の体制を確認しておきたいという段階のご相談も承っています。従業員の方から相談を受けてどう扱うべきか迷っておられる場合を含め、経過が分かる資料をお持ちいただければ、状況に即した進め方をご一緒に整理いたします。

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若井亮
専門家

若井亮(弁護士)

弁護士法人若井綜合法律事務所

風俗トラブルや男女トラブル、それに伴う刑事事件まで一貫して対応。累計相談件数は男女トラブル約23,000件、風俗トラブル約8,000件。全国からの相談を24時間受け付け、迅速な対応を心がけています。

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