「バックにはヤクザがいる」と言われた|自称への向き合い方
カスタマーハラスメント(カスハラ)対策は、2026年10月1日から事業主の義務になります(改正労働施策総合推進法。具体的な措置の内容は令和8年2月26日厚生労働省告示第51号の指針で示されています)。
情報を探すと「就業規則の改定」「研修体系の整備」「マニュアルの全面作成」といった記述が並び、従業員が数名の店には縁遠く感じられるかもしれません。ただ、対象になるかどうかは規模で決まるものではなく、中小企業向けの猶予期間も設けられていません。
一方で、求められる措置の程度は事業の規模や実情に応じて判断される性質のものです。小さな店であれば、大がかりな体制づくりではなく「紙を数枚そろえて、決めごとを共有する」ところから形にできます。
この記事では、義務の内容そのものの解説ではなく、施行日までに何を、どの順番で用意するかに絞って整理します。
1.まず、自分の店がどの立場かを切り分ける
最初にここを間違えると、必要のない準備に時間を使ってしまいます。
| 店の形 | 措置義務の対象か | 10月までの目安 |
|---|---|---|
| 家族以外の人を1人でも雇っている(パート・アルバイトを含む) | 対象になります | 本記事のチェックリストを一通り |
| 従業員がおらず、自分ひとりで営業している | 措置義務の対象ではありません | 方針と対応手順だけ手元に用意しておく |
| 派遣スタッフを受け入れている | 派遣先も対象となる | 派遣元との連絡先・報告の流れを確認 |
| 同居の親族だけで営業している | 労働法令の適用が及ばない範囲があります | 個別に確認したうえで判断 |
パート・アルバイト・契約社員といった雇用形態の違いで対象から外れることはありません。逆に、従業員がいない一人営業の場合、措置義務そのものは生じません。もっとも指針は、自ら雇用する労働者以外の人が受けた顧客等の言動についても同様の方針を併せて示すことが望ましいとしており、業務委託を受けて働く立場であれば発注者側の相談体制の話にもつながります。
2.逆算スケジュール(8月・9月・9月末〜10月)
残り約2か月を3つに分けると、無理のない配分になります。作業時間の目安も添えました。
| 時期 | やること | 用意するもの | 目安 |
|---|---|---|---|
| 8月中 | ①店としての方針を文章にする ②相談先を決める ③この1年で困った対応を3件書き出す | 方針1枚 | 合計2〜3時間 |
| 9月中 | ④対応手順を決める ⑤対応を控える場合の判断と打ち手を先に決めておく ⑥従業員に説明する ⑦掲示物・記録様式・録音手段を用意する | 手順メモ1枚、記録様式1枚 | 合計3〜4時間 |
| 9月末〜10月 | ⑧相談したことで不利に扱わないこと・相談内容を他に漏らさないことを伝える ⑨連絡先を1枚にまとめる ⑩施行後に1件起きたら手順を見直す | 連絡先メモ1枚 | 1時間+以後随時 |
③の「困った対応を3件書き出す」は地味ですが、方針と手順に具体性を与える材料になります。ひな形の文言をそのまま写すより、自分の店で実際に起きたこと(長電話、閉店後の呼び出し、値引きの強い要求など)を土台にしたほうが、従業員に伝わる文書になります。
3.紙3枚で形にする
(1)方針(1枚)
盛り込む内容は次の4点で足ります。
- 従業員が安心して働けるようにするという店の姿勢
- 対応を控えることがある言動の例(自店の実情に沿ったものを2〜3)
- そうした言動があった場合に店として取る対応
- 商品やサービスについての正当なご指摘は真摯に受けとめるという一文
4点目は形式的な添え書きではありません。指針でも、正当な申入れはカスハラに当たらないとされ、障害のある方が社会的障壁の除去を求めること自体も該当しないと明記されています。お客様が言いにくくなる方向に振れると、本来受け取るべき指摘が届かなくなります。
方針を店外にも示すか(店頭掲示やホームページ)は選択できます。示す場合は言葉を選んでください。強い表現は、伝わり方によってはお客様との関係や口コミに跳ね返ります。
なお、就業規則の作成義務があるのは常時10人以上を使用する場合です。それ未満の店では、方針は別紙1枚でかまいません。大切なのは体裁より、従業員に渡した(掲示した)日付が残っていることです。
(2)対応手順メモ(1枚)
現場が迷う場面をあらかじめ決めておきます。
- ひとりで対応させない(無理な時間帯があるなら、その場合の代わりの動き方を書く)
- その場で結論を出さない。「一度お預かりして、店主から改めてご連絡します」といった決まり文句を1つ用意しておく
- 時間の区切り(一定時間を超えたら店主に引き取る、電話を一度切る)
- 警察に連絡する場面の目安
- 記録を残すこと
(3)記録様式(1枚、またはスマホのメモ)
日時、場所、対応した人、相手の発言、こちらの回答、要求と期限。項目を決めた様式が1枚あるだけで、後から状況を説明しやすくなります。記録の書き方と粒度は、別のコラム「クレーム対応の記録の残し方」で詳しく扱っています。
4.個人商店でつまずきやすい5点
① 相談窓口を外部に作らなければいけないと考えてしまう
店主自身が窓口でかまいません。要点は、従業員が「誰に、どう言えばよいか」を知っていることです。連絡手段(口頭でよいのか、LINEでもよいのか)まで決めておくと機能します。
② 「ひとりにしない」が物理的に難しい
一人体制の時間帯があるのが実情でしょう。その場合は、いったん電話対応に切り替える、来店をお断りする時間の目安を決めておく、応援を頼める先(家族、近隣の店、警察相談専用電話 #9110)を決めておく、といった代わりの手当てを書いておきます。物理的な手段が取れないときは別の手段で補う、という考え方は、使用者の安全配慮義務に関する裁判例でも示されてきた発想です。
③ 掲示の言葉が強すぎる
「お断りします」と断定的に書くより、「状況により対応を控える場合があります」といった書き方のほうが、必要な場面で使いやすくなります。
④ 従業員の氏名や連絡先をお客様に伝えてしまう
相談者のプライバシーへの配慮は、講ずべき措置の一部に位置づけられています。名札の表記を氏名からイニシャルや店内呼称に変えた事例も紹介されています。
⑤ 家族従業員・業務委託・派遣で範囲が動く
契約書の名目ではなく実態で判断されます。判断に迷う形態が混在している店は、この点だけ個別に確認しておくと安全です。
5.使える公的なもの
厚生労働省「あかるい職場応援団」の資料ダウンロード
対策マニュアル、リーフレット、「NO!カスハラ」ポスター(相談窓口を書き込む欄があります)が公開されています。スーパーマーケット業編・宅配業編の業種別マニュアルもあり、接客の場面が近い業種のものは参考になります。パワハラ対策向けに用意された相談受付票などの様式も、記録様式を作るときの下敷きになります。 ただし、2022年に作成された一部の資料には「雇用管理上の措置を義務付ける法改正の成立前の内容」という注記が付いています。義務の内容そのものは指針で確認してください。利用にあたっては出典の明記など、ダウンロードページの注意書きに従う必要があります。
説明会・相談先
厚生労働省は、2026年10月1日から義務化される内容についての説明会の開催予定を公開しています。各都道府県労働局の雇用環境・均等部(室)が窓口です。都道府県ごとに置かれた働き方改革推進支援センターでは無料の相談を受けており、ハラスメント対応の研修に応じている例もあります。
東京都の制度(都内の店)
東京都カスタマー・ハラスメント防止条例が2025年4月1日に施行されており、事業者の責務が定められています(行為者への罰則はありません)。また、都は「カスタマーハラスメント防止対策推進事業 企業向け奨励金」(40万円)を設けています。対象は常時雇用する従業員300人以下の都内中小企業等で、個人事業主も申請の余地があります。
要件は、カスハラ対策マニュアルの整備と基本方針の周知に加え、実践的な取組(録音・録画環境の整備、AIを活用したシステム等の導入、外部人材の活用)のいずれか1つを実施していることです。令和8年度の募集は計2回の予定で、第1回の事前エントリーは2026年7月9日で受付を終了しています。第2回は、本記事執筆時点では詳細が公表されていません。申請にはGビズIDプライムアカウントや12か月分の納税証明が必要となるなど、事前に整えるものがあります。
つまり、10月までに作る方針とマニュアルは、様式と実施の記録を残しておくと、後の申請でそのまま使える可能性があります。ただし要件や受付方法は年度ごとに変わるため、必ず特設サイトで最新の募集要項を確認してください。
6.10月1日を過ぎてからが実質的な出発点
書類がそろっても、使われなければ形だけになります。施行後に見直すのは次の3点です。
- 実際に1件起きたとき、手順どおりに動けたか。動けなかった箇所を書き換える
- その1件の記録が残っているか
- 従業員から相談があったとき、シフトや評価で不利に扱っていないか(相談を理由とする不利益な取扱いをしないことは、周知すべき事項に含まれています)
義務に反した場合の行政上の措置(助言・指導・勧告など)よりも、実務で重く働くのは、従業員に対する安全配慮義務です。この点は別のコラム「従業員・アルバイトがカスハラを受けている|個人事業主の安全配慮義務」で扱っています。
まとめ
- 人を1人でも雇っていれば、規模を問わず対象になります。猶予期間はありません
- 小さな店では、方針・対応手順・記録様式の3枚と、従業員への説明で形になります
- 8月に方針、9月に手順と説明、9月末に連絡先――と分けると無理がありません
- 「正当なご指摘は真摯に受ける」という一文を必ず入れてください。線を引く目的は、お客様を遠ざけることではありません
- 東京都の奨励金は要件が年度で変わります。作成物と実施の記録を残しておくと選択肢が広がります
境界が判断しづらい相手がいる、要求の内容が回を追って変わっていく、来店をお断りすることを検討している、警察と弁護士のどちらに相談すべきか迷っている――こうした段階であれば、手順を決める前に一度ご相談いただくほうが、後の対応が組み立てやすくなります。


