食博の歩き方
宗教でも科学でもない家相
家相を信じますか?多くの人の回答は信じないけど悪いと言われる事はしたくない。と云う回答をします。
宗教は人々の心に安寧をもたらす事が宗教の究極の目的です。家相はどうでしょうか。「鬼門に玄関を造ると良くない」こう云う定め事をして、人々を不安にさせる宗教があるでしょうか。本来の宗教であれば、厄年だから厄除けにお参りをするとか人の心の助けを行って、人の心に安寧をもたらすのが宗教の役割です。人を脅しておいてその結果に何の責任も取らないのは明らかに宗教ではありません。
では科学なのか。
「鬼門に玄関を造ると良くない。悪い事が起る。」これは統計的に確認された事なのでしょうか。統計を発表している家相のホームページを見たことがありません。
「階段が玄関に向いていると子供が家出する」では玄関に向けなければ家出しないのか?人が体験する人生の中の一部分の不幸をことさらにこじつけてる様に思えてなりません。
「便所を南に配置すると病人が出る」病気しない人なんているのでしょうか。
根拠の無い事を羅列するのは明らかに科学ではありません。
家相に惑わされない方法
人は大きな決断をしようとする時、その決断に間違いが無いか、あらゆることを検討します。
そして家相が良くないとなると今まであまり気にも止めなかった家相が、何か重大な欠点の様に思えて来て決断を鈍らせてしまいます。
その欠点が元で、もしも現状よりも悪い結果になったらどうしよう、と考えてしまい現状を抜け出せないでいるのが殆どの人です。
私は、クライアントから土地の相談を受けると、土地を見つける前に土地に求めるものをリストアップする様にお話ししています。土地に求めるものは人それぞれ異なります。駅に近くて、環境が良くて、便利が良くて、土地が広くて、しかも「これは安い!掘り出し物だ!!」と云う土地はこの世に存在しません。もしもあれば誰もが欲しがります。需要が多いと云う事は値段が上がることなのです。
ですので、まず求めるものを整理してその条件に合ったものを探すように云っています。どうですか?その求めるものに「家相」は入っていますか?入っていれば買わないことです。入っていなければ買っても支障はないでしょう。
でも「よし買おう!」と決めた瞬間に、別の自分が現れて「ちょっと待て、お前は騙されているぞ」と囁くのです。それは、友人や知り合いが囁くのではありません。自分自身が囁いているのです。その証拠に買わなかった事で後で後悔しても、友人や隣人を責める気にはなれません。自分自身を責めるのです。
大きな決断をするときは、誰でもそうなるのです。一度や二度は迷っているうちに他人が先に契約してしまった、と云う経験を踏まないと買えないのが土地でもあります。まずは気持ちを整理してその土地に何を求めているのか良く考えてください。その条件に合っていれば「買い」です。合っていなければ「買うな」です。それだけのことです。