書籍「時間の始まり 宇宙はこうして始まった ~宇宙の起源にまでさかのぼる時間の仕組み~」出版情報
理由は何でもいいんですが
ちょっとそこまでと言えるくらいの距離
車で5分くらいの近所に
どうしても車で行く必要があると。
しかし少しお酒が入っています。
仕方ないので、ちょっとの距離だしまぁいいかと
何の気なしに飲酒運転で車を走らせましたが
運悪くネズミ取りに捕まってしまいました。
こんなちょっとの距離なのに捕まるとは
なんて自分は運が悪いんだと
悔しくて堪りません。
警官とやり取りしてる内に
何でこんな事くらいで点数を引かれ
違反金を払わなければならないのか
腑に落ちないんですね。
これは、問題に対する意識の違いに、問題があるわけです。
この捕まった人のように
飲酒運転をちょっとくらいという意識であれば
そのちょっとで捕まった事に納得できません。
しかし飲酒運転は絶対にダメだという意識の人は
ちょっとでも大きな罪を犯したと感じるでしょうし
そもそもそんな軽い気持ちで運転しようとしないでしょう。
飲酒運転に、ちょっともそっともないんですね。
そんな事は頭ではわかってるはずです。
しかし実際に捕まってしまうと
運が悪かったとか、何でこんなくらいでと
悔しく感じてしまうんですね。
反省するなんて気持ちはありません。
つまりこれは、物事をどの程度に捉えてるかで
感じ方やその後の行動にも違いが出てくるというわけです。
自分の中で重苦しく悩んでる事であっても
その悩みをどう捉えてるかによって
重さの比重も変わってくるという事なんですね。
ここから見えてくるのは
自分の悩みを重くしてしまってるのは
自分自身だという事です。
他人に悩みの原因があったとしても
それを深刻なものに受け止めてるのは自分なんですね。
深刻に受け止めてなくても
自分の悩みをちょっとくらいと捉えていれば
最初の飲酒運転の話のように
真剣に向き合おうとは思いません。
自分の中で軽いものとして考えてますので
行動や思考がちっとも改善に向かわないんです。
そのために、長く悩みを抱え続ける事になるのです。
自分の悩みに対しての向き合い方を
改めて振り返ってみてください。
その考え方、その捉え方でやっていけそうですか?
もし悩んでいろいろ迷われてるなら
心理カウンセリングがお力になれます。
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