書籍「時間の始まり 宇宙はこうして始まった ~宇宙の起源にまでさかのぼる時間の仕組み~」出版情報
世の中は不公平ばかりで
自分なんて恵まれないんだ
何で自分だけこんなに不幸なんだ・・・。
悩みの渦中にいる時は
このように自分だけという思いが強くなるものです。
私には姪っ子がいるんですね。
それぞれ個性があって違いますが
みんな可愛いですし
この子は好きだけどこの子は嫌いというのはありません。
自分ではみんな同じように
平等に可愛がってるつもりです。
ですが、例え平等といっても
その接し方はそれぞれ違うわけです。
みんな個性が違うのに
同じように接するなんて出来るわけがないんですよ。
この捉え方を間違えてしまうと
あの人、この子はずいぶん可愛がってるけど
この子に対しては厳しいんじゃないかと映るんですね。
でもそうじゃないんです。
それぞれ接し方なんて違って当たり前なんです。
そして接し方が違うからといって
必ずしも扱いが不公平だなんて事はないんですね。
学校の先生が特定の生徒に対して
ひいきしてるんじゃないかという話はよくありますが
もちろん人によって好き嫌いというのはあるでしょう。
相性の良し悪しもあると思います。
だからといって自分だけが差別扱いされてるのか
自分だけが不幸なのかといえば
私はそうではないと思いますね。
家庭なら両親、職場なら上司、学校なら先生。
どんな環境でもそうですが
はたから見ても自分がそう感じたとしても
真意はそれぞれ、その人の中にあるんです。
その真意を勝手に解釈して、勝手に捻じ曲げて捉えてるのは
やはり自分自身なんですね。
自分だけが不幸なんて考え始めたら
例え相手の人がどんな接し方をしてきてくれても限がありません。
捻くれて捉えてしまったら
なかなかそういう考えから抜け出す事は出来ないんですね。
そんな、人の目を気にしてばかりいて
不幸だ恵まれないだとあれこれ考えてるより
自分は自分として、在りのままの自分で生きていく事だけを考えれば
自分だけが不幸かどうかなんて気にしなくても済むと思います。
つまり、自分の価値は自分で決めるというのは
こういう考えからきてるんですね。
人の評価であなたの価値は決まりません。
あなたの価値はあなた自身が決めるんです。
自分は不幸だなんて決め付けるのは
それはあなたが自分自身で価値を低く見積もってるだけなんですね。
そして、例えあなた自身は自分で価値はないと思っていても
あなたに価値があるかどうかなんてのは他人が勝手に判断するんです。
その判断というのも勝手なもので
自分にとって価値があるかどうかという評価もあれば
あなたという人間性に価値を感じる人もいるわけなんですね。
ですから、そんな相手の都合によってコロコロ変わる評価を気にするより
自分の価値なんて自分で決めればいいんです。
他人の評価は他人の評価。
あなたという人間に実際に価値があるかどうかというは
全く別のものなんです。
少なくとも私は
この人は個人的に好きだから優しく接するけど
この人は苦手だから厳しくしてやろうだとか
ちょっと避けてやろうなんて接し方は絶対にしません。
それぞれ接し方は違っても
扱いはみな平等です。
それをどう捉えるかは本人の問題ですし
そんな事をいちいち気にして自分が小さくなってては
ほんとにただ生きづらいだけですし
悩みも尽きないと思います。
そして私自身、他人の評価で悩んだ事はありません。
人よりも自分がどうか。
例え人にどう思われても
私は自分の信念が一番大事だと思いますし
また、このような事で悩んでる方にも
ぜひ自分の信念を大事にしていただきたいですね。
ただし、あまり信念に囚われ過ぎると
これまた別の悩みが生まれてしまいますよ。
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