現代コミュニケーションにおける問題点

宮本章太郎

宮本章太郎

コミュニケーションの形は
インターネットや電子メールが普及し始めた頃から
ずいぶん様変わりしています。
直接会ってするコミュニケーションから
何か媒体を介してのコミュニケーションに乗っ取られた感があります。

基本的なコミュニケーションが直接的なものなら
人との関わりは限定的なものになりますが
そのコミュニティーの中での人格形成は上手く成されます。

これがメールやネット掲示板に頼ったコミュニケーションとなると
自分に必要のないものや役に立たないものは
廃除していく傾向になっていきますので
コミュニケーションの主体が相手のない
自分主体のものに成り代わるんです。

相手の存在が、ゲームの一登場人物程度でしかなく
返す反応も、相手の存在価値を尊重しない
自分主眼の希薄なものになってしまうんですね。

しかしそこで気の合う者同士だと
逆にリアルで出会った時に
大きな感激を受けられるでしょう。
お互い知らない者同士が出会い
意気投合して大いに盛り上がる事はよくあります。
例えば生まれてからずっと一緒にいる家族に
いちいち衝撃を受けたり感激したりはしません。

媒体を介したコミュニケーションは
便利を生み出しましたが
同時に基本的なコミュニケーションの弊害も生み出しました。
まず第一に、相手の都合を考えない
考えなくていいというメリットであり、デメリットを生み出しました。

こういったコミュニケーションが浸透していくにつれて
現実でのコミュニケーションの形も変容していったんですね。
それが今、目に見えないところの社会的問題となってるわけです。
人とのお付き合いの形が、根底から様変わりしてしまったんですね。

問題は、それなのに人への気遣いは相手に要求するというところです。

つまり、コミュニケーションの本質的な形が変わってるにも関わらず
それでいて昔ながらの基本的なコミュニケーション
マナーや礼儀といったものを相手に要求するんですね。
本来それは相手に要求するものではなく
自らの気持ちがそうさせるものなのです。
例えば空気が読めないと相手を罵る現象は
コミュニケーションの仕方を相手に要求してるからなんです。
相手に一定の形式を求めるんですね。

ですからそういった礼儀のなってない人間には
実に厳しい対応で迫られます。
しかもこれは自分基準の性質の悪いものです。

相手の実像がないままの
ただ要求に応えるだけのコミュニケーションになってますから
そういう自分基準で見たなってない人間に対しては
それこそ相手をゲームの一登場人物としてしか見てません。
その時の気分によっても左右されますし
自分の都合でもういいやと面倒になったり
それでいて一方的に相手をこういう人間だと評価してしまうのです。

自分の都合に合わせたコミュニケーションを相手に要求するという
何とも異様で独りよがりなコミュニケーションが出来上がり
コミュニケーションに一定の形式を要求される側は
常に人間関係に気を遣ってなければなりませんから
終いには人間関係に疲れ、希薄になっていき
ただ厳しいだけのものとなるんですね。


今回は現代コミュニケーションの問題点を取り上げてみましたが
この問題はもっと幅広く深いものでありますので
ここに書き出したものが全てではありません。
あくまで一つの参考にしていただいて
自分のコミュニケーションの在り方なり
また、日常の生活の中に活かしていただけたらと思います。

何か小難しい事を書いてるようですけど
それこそ実際に
カウンセリングを通してコミュニケーションをしてみましょう。
そんなに難しく考える必要もないですし
人間関係は煩わしくて、ただ厳しいものだという考えも
少しは改まるかもしれませんよ。



ご意見ご感想、あなたの聞きたい事を聞かせてください。
メールでけっこうですよ。
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併せてお待ちしてます。

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宮本章太郎
専門家

宮本章太郎(心理カウンセラー)

京都カウンセリングラウンジ

心の健康のみならず、メンタルに関連して起こる様々な身体への影響や健康に関する知識が豊富ですので、うつ対策や不眠症の改善といった、総合的な健康法についても心理学の観点からアドバイスと情報提供が可能です。

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