美しい100歳
この記事は2002年5月に頚椎の手術をし、退院を前に感じたことを日記として残していたもので、現在の医療システムとは関係ありません。
ここから2002年
私は建築家として総合病院や小規模医院などのDESIGNにも関わったことがあるが、病院の法基準や基本設計は、時代とともに少しずつ改変されているが基本のところは大きく変わっていない。
しかし ソフト面は大きく変化していた。病院によって違いがあるものの、私が入院している病院においては 患者への接遇が徹底されていると感じた。
不快か快適か二者択一を迫られれば 快適に二重丸。多くの患者は入院時 一時的とはいえ外界から遮断され、テレビや新聞以外の情報は間接的にしか入ってこない。
それに加えて病気や怪我という物理的或いは、精神的にかかるストレスは、患者にとって相当のものになる。
家族がいれば大概のことは代行してくれるが、私のように身の回りのことを全て他人に委ねている場合、普通ならかなり気を使うところである。ところが ここでは病院としてできる限り患者の要望に応えようとしている。
システム化しているどこかのファーストフードのようにインフォメーション的ではなく、患者とのコミュニケーションにウエイトを置いているのだ。
私は職業柄「サービス」をこう考えている。
長期でお付き合いするお客様に対し、何もかも行き届いているような過剰サービスは 窮屈にも退屈にも感じて、それがベストとは思わない。
価値観や生活習慣は違っても 短期で目的が限られていれば、先に述べたような無難なインフォメーション的サービスが有効だろう。しかし、その目的も色々、お付き合いも長期となれば違ってくる。
ここで「おもてなし」と言う言葉が浮かんでくる。「おもてなし」の語源のひとつ に「表裏なし」つまり表裏のない気持ちで応じる利他の精神である。
おもてなしと言うとホテルや旅館が浮かんでくるだろう。病院とホテルを比較すると 正反対ように感じるかも知れないが、ホスピタルとホテルは「ホスピス」という共通の語源から生まれている。
つまり、原点は「おもてなし」と言っても差し支えないだろう。
私はこう思う。「おもてなし」は万国共通であり、その精神こそモノを持って成し遂げる究極のDESIGNといえると。
入院したことで「おもてなし」は、どの職業にも当てはまる共通項であることを改めて認識させられ初心に返ることができた。
そして、入院しなければ出会うはずもなかった年齢や男女を超えた異業種の人たちとの偶然かつ必然的出会いを、私の大きな宝物として大切にしてゆきたい。
【小さな実践】
新型コロナウィルスが教えてくれたこと「生きとし生けるものを慈しむ」を改めて考えるキッカケになった