認知症介護は自から他へ
「遠距離認知症介護者の日記」のテーマの記事は、お袋が認知症になった初期の頃を記録として残すためにアップしています。
ここから2014年2月22日の話
増えた毎日のルーチン
お袋が認知症になってから、薬を飲んだかどうかを朝夕、私が電話で管理している。お袋は、飲んだことを忘れ、飲むことも忘れる。先日、前から服用している心臓の薬を飲んだことを忘れ、二重に飲んだことがあった。
お袋が勝手に飲んだことは私には分からないから、電話すると二重に飲むことになる。電話するのも良し悪しである。
せっかく毎日電話するので、お袋に簡単なコーチングを行なうことにした。
・楽しかったことは何か?
・腹がたったことは何か?
・それらは何が原因だったのか?
・どうしてそう感じたのか?
などなど、答えは同じことを繰り返すが、時々、お袋は「あれ、さっき私はどう答えた?本当はこうじゃったわ(笑)」などと自分が答えたことを訂正することがあり、観察していると実に面白い(^^)
コーチングは、お袋の気持ちを引き出し、客観的に傾聴できるので、生活実態を感じ取ることができる。 一方でこのところの私は、今まで他人事に思っていた認知症が、ある日突然、自然災害のように降って湧いた被害者意識のような感情があった。
こんな気持になると、毎日、アップしていたブログも気が滅入って書けなくなった。被害者意識か偽善者意識か分からない複雑な気持ちで書きたくなかったのかも知れない。どこか自分に嘘があるような気がしていた。
この数日、自分を俯瞰して観るように務めていると、昨日、こんな気持ちになった。
これは自然災害でもなければ、予見できない事故でもない。高齢者にとって、認知症はいつ発症しても不思議ではないのに、私は現実から逃れようとしているだけではないか。ただ、準備が足りなかっただけではないだろうか・・・
私は、お袋の生活習慣をどれほど把握していたのか。お袋が住んでいる地域性はどうなのか。彼女の近所付合いを含め、人間関係はどうなのか。彼女の言動に気を配っていたのか。
そう思うと、別居暮らしを理由に、私がお座成りにしていた問題が、お袋が認知症になったことで浮かび上がってきただけのことなのだ。しかし、今更、後悔したところで始まらない。
今の時点で出来る事をするだけだが、言うほど、認知症を受け入れるのは簡単ではない。認知症は過去のデータにより、予防法、対処法、それに伴う考え方や接し方などの情報が世間には山程ある。
それらのデータをダウンロードすることは難しくないが、本当に大切なことは、私がどうするかではなく、これからのお袋の未来がどうすれば楽しく過ごせるようにできるかではないだろうか。
受け入れるという意味は、「自分」から「相手」に変わった時かも知れない。
【小さな実践】
「受け入れ方」は人それぞれ、あなたの「受け入れ方」は、どのようなことかを深堀りしてみる