美しい100歳
人は誰でも変身願望があるという話を聞いたことがあります。実は私も若い頃、ちょっとした変身願望がありました。
サングラスをかけてヤンチャな格好をしたり、若いのに年寄り地味た服を着て、髪に小麦粉をまぶし白髪にしてヨロヨロしながら歩いたり、汚い服を着て空き缶を引きずってあるいたりね。若気の至りです(笑)
偽善者のレッテル
以前、話したことがありますが、自分の中に「偽善者」という強い思い込みがあったので、階段で女性やお年寄りが重そうな荷物を持って上がっているのを見ても、「持ちましょう」と声をかけれない。
電車の中でお年寄りや妊婦さんに、すぐに席を譲ることができませんでした。でも、できないにしても、このように後悔するのは心理的な要因があります。
人は、自分を犠牲にしてでも他者を助けたいいう社会心理、「援助行動」の意識をほとんどの人が持っています。さらに、「生きとし生けるものを傷つけたくない許し育みたい」という人としての本能も持っています。 しかしながら、この心理は、ひとりの時は躊躇なくできても、大勢の中では次のようなブレーキがかかるようです。
「自分はしなくても誰かがする」という傍観者的な意識が働いたり、「援助しなくても誰にも非難されない」、「援助して断られたら恥ずかしい」、「この人は援助を求めていない」と、これらを思い込むことで本能から逃れようとします。
とは言え、実際に行動できるかどうかはシチュエーションによりますが、私自身も他者に命を助けてもらっているので、人目がどうのと言っている場合ではありません。
もしも「援助行動」を要す状況に出くわしたら、こう考えるようにしています。「ここには私ひとりしかいない」
【小さな実践】
あなたが後悔する行動のウラ側に、どのような心理があるか掘り起こしてみる