子供への怒りをコントロールする Part3
今日は「思い込み」の話。
小学生の頃、あることを友だちに聞いたことがあります。絵を描いている時、「友だちが使っている空の色は、自分が見ている空の色と同じかなぁ」と漠然をした疑問が湧いたので、友だちに「空の色に使っているのは何色のクレヨン?」と聞きました。
友だちは水色と答え、自分も同じ色だけど何かが腑に落ちなかったのです。友だちの水色は自分の水色と同じ色だろうか・・・。自分が感じている感覚や色、形など、本当に友だちも同じ景色を観ているのだろうかと考え出すとわけがわからなくなりました。
この感覚は伝えにくいのですが、私が見ている水色は、友だちが別の色で認識していても、お互いの水色の定義が同じなら双方の答えは合致します。でも別の色で認識しているかどうかを証明することができません。
私の感じる水色は友だちは、緑色で認識しているかもしれないということです。こんなことを考えていると、私たちは、同じ景色を観ているようで、実はそれぞれ違う景色を観ている可能性もあります。
私たちは、世の中の膨大な情報のほんの一部を、削除したり歪曲したり一般化しながら、自分なりに解釈し小さな現実を創りだしています。人は言語を伝達の手段として使っていますが、自分が考えている数%しか相手に伝えることができません。
特に文章で意思を相手に伝える際、誤解されないような文章を考えるので、どうしても長文になりますよね。中学、高校生のLINEの会話を友だちに聴いたところ、単語の羅列やグループで作った隠語やスタンプなどが使われているそうです。
通常の会話でも、「何でくるの?」の言葉の意味には「どのような交通機関で来るの?」の意味にもとれるし「どうしてあなたが来る必要があるの?」 の意味にもとれます。それぞれが持っているリソースによって、どうにでも解釈できます。
私たちのコミュニケーションは、自分が相手に何を伝えたかではなく、相手がどのように理解したかを知ることの方が大切ではないでしょうか。特に子どもは大人のように経験も知識も少なく、親の観ている景色は、子どもには観えないことが多いのです。
【小さな実践】
相手と同じ景色を観るために、
会話の中でどのようなことを行なえば良いのかを書き出し、
コミュニケーションで実践してみる