どちらのタイプなんてどうでもいい
私が建築デザイン事務所に入所した頃の古い話。
所長と先輩と私の3人は、完成したお客様のゲストハウスに招かれました。設計したのは私たちですが、完成直後の無機質な空間に比べて、見違えるような空間になっていました。
シックな部屋にはJAZZのBGMが流れ、壁には誰でも知っている絵画が掛けられ、家具は重厚感のある英国調のもので揃えられ、まるで英国の領事館にいるような錯覚を覚えたくらいです。オーナーの感性で無機質な建物がここまで変わるものかと驚きを隠せませんでした。
ゲストハウスを後にした車中で、私たちはインテリアの話に花が咲きました。所長はJAZZが好きなので、「クライアントは音に拘りをもっていたね。レコードプレーヤーだったよ。やはりJAZZはレコードで聴くに限るね」など、音楽の話しばかり。
先輩は、「あのソファは何時間、座っていても疲れない、高いやろな」と座り心地が良かったソファや家具の話しばかり。
私は、壁に掛けてあったゴッホの絵画が気になっていたので所長と先輩に「あのゴッホの絵は本物ですかね、まさかね」などと話していると、所長と先輩は何の絵が掛かっていたのかまったく覚えていませんでした(笑)
このように私たちは、同じ時間、同じ空間に居ても自分に興味があることしか覚えていません。つまり同じインテリアを見ても、それぞれ観て、聴いて、感じるところが違うのです。
これはひとつの例ですが、コミニュケーションも同じで、私たちの五感は、勝手に自分の中にあるリソースや興味が湧く情報だけを基に会話しているので、相手も同じという前提で話している時にミスコミュニケーションが発生するわけです。
人間関係において、そのような誤解が生まれないようにするには、相手のリソースの中にある言語で話す。つまり、相手と「共通言語で話す」ようにすると、好き勝手に話すより相手との距離が縮まるはずでます。
【小さな実践】
相手との共通言語を探すには、質問とフィードバックをしながら
双方が伝えたいことをすり合わせる