コミュニケーションとジョハリの窓
昔、会社員だった頃の話。
得意先の担当者に
報告書を送った時のことです。
その報告書は、
当初、担当の女性からは
「いつものように書いてくれたら良い」
と言われていました。
報告書を提出後、
しばらくして彼女から
「この報告書はどういうつもりで
書いたのでしょうか?」
という電話がありました。
まわりくどい言い方が嫌いですから
報告書に不備があるなら単刀直入に言ってほしい
と言うと、彼女はこう言いました。
「報告書の不備ではなく、
私の主観に沿う表現で書いてほしい
小橋さんなら言わなくても解っていると
思っていました」
それなら最初に報告書の書き方について
明確にしておくべきでは・・
ということを電話でやりとりしても、
双方が主張を通そうとするばかり。
このようなミスコミュニケーションは
日常的によくあってどっちもどっちです。
これを心理学的に言うと、
「行為者・観察者バイアス」
相手の行動については、
相手の内面に原因があると考えるのに対して、
自分の行動については、
原因は自分の外側にあると考える傾向のこと。
つまり、
「自分に優しく他人には厳しい」です。
例えば、
デパートで通路側に置いてある
装飾品にバックが引っかかり
落として壊した人を目撃したとします。
それを見たあなたは
「壊した人の不注意」と考えます。
ところが、
あなたが同じことをした場合には
「通路に置いている方が悪い」
と考えてしまうのです。
他人のことは厳しく追求するのに
自分が当事者になると
信念でも曲げてしまうどこかの
政治家みたいですね(^o^)
私の例で話した昔のトラブルは、
電話という表情が見えない状態で
言いたい放題でした。
これが対面で互いの表情を見ながらなら
少しは遠慮があったかもしれません。
コミニュケーションをとる上で
顔の表情はとても大切です。
会話の内容によって、困惑した表情や
納得した表情はすぐに認知できます。
言葉はとても大切だけど、
表情と一緒に伝えることで
言葉だけより何倍も心に入ってきます。
超便利になった昨今、
ちょっとした物なら
自宅に居ながら買い物ができて
言葉はいりません。
便利な世の中なればなるほど、
大切なコミュニケーション能力が
なくなってきています。
人工知能がもっと世の中に
反映される時代が来たとしたら、
わずらしい人間関係より
ロボットと話しをした方が楽しい
というようにならないことを
祈るばかりです。
【小さな実践】
あなたの仕事が将来、
人工知能に変わったとしても
その中で人間しかできないことを考えてみる