福岡の偉人:北九州市 戦い方を変えた「今謙信」・小川又次

鎌田千穂

鎌田千穂

テーマ:この世界、知らんことだらけ

バナー
さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはいけない人がいます。

時代が大きく変わるとき、
それまでの常識が、そのまま通用するとは限りません。

そんなとき、
自分たちの知っている世界だけを基準にするのではなく、
外の世界から学び、
新しい考え方を取り入れる人が必要になります。

今回は、
北九州市が生んだ陸軍軍人。
小川又次(おがわ またじ/1848年~1909年)のお話です。

小倉藩士の家に生まれた少年


1848年に生まれた小川又次。
幼名は助太郎といいます。
豊前国小倉の藩士・小川兼宣の長男として生まれました。

幕末の小倉藩といえば、
九州の中でも重要な位置にあった藩。

小川又次が青年期を過ごしたのは、
まさに日本そのものが大きく変わろうとしていた時代でした。

幕府の時代が終わり、
明治という新しい国家が始まる。

それまでの武士のあり方も、
軍隊のあり方も、
一から考え直さなければならなくなっていました。

小川又次も、その変化の中で軍人への道を歩みます。

明治5年には陸軍少尉となり、
明治政府がつくり始めた近代的な軍隊の中で経験を積んでいきました。

そして、小川又次の名前が広く知られるきっかけとなったのが西南戦争。

西南戦争で頭角を現す

1877年。
西郷隆盛を中心とする士族たちが政府に対して蜂起しました。

西南戦争です。

小川又次は政府軍側として出征。
熊本城の籠城戦などで戦い、負傷しています。

まだ30歳にもならない頃でした。

ここで小川又次は、
実戦を経験した軍人として頭角を現していきます。

しかし、小川又次の特徴は、
単に戦場で勇敢だったことだけではありません。

むしろ小川又次の本領は、
「どう戦えば勝てるのか」を考えることにありました。

戦場で兵を率いるだけではない。

敵の動きを読み、
地形を考え、
兵力をどう動かすのかを考える。

小川又次は次第に、
「戦略を考える軍人」として評価されるようになっていきます。

「今謙信」と呼ばれた男

小川又次には、
ひとつの有名な異名があります。

「今謙信」

戦国時代の武将、
上杉謙信になぞらえた呼び名です。

なぜ、明治の軍人が戦国武将の名前で呼ばれたのでしょうか。

それは、
小川が戦術や作戦を考える能力に長けた軍人として知られていたから。

西洋の軍事制度を取り入れる

当時の日本陸軍は、
西洋の軍事制度を取り入れながら、近代的な軍隊をつくろうとしていました。

その中で大きな役割を果たしたのが、
ドイツから招かれた軍事教官、クレメンス・メッケルです。

メッケルは、日本陸軍の参謀教育に大きな影響を与えた人物でした。

小川又次は、
そのメッケルの講義を受けています。

とはいえ、
小川又次は、
ただ先生の話を聞いて覚えるだけの学生ではありませんでした。

軍事について、
自分の考えを持ち、
メッケルとも議論したとされています。

同じ頃、メッケルから高く評価された人物の一人が、
のちに日露戦争で活躍する児玉源太郎もいました。

小川又次は、
こうした人々とともに、
日本陸軍の戦略・戦術を学んでいきます。

「外国のやり方を学ぶ」

それだけではありません。

そこから、
「日本ならどうするのか」を考える。

小川又次の強さは、
そこにあったのかもしれません。

「清国征討方略」という大胆な構想

1887年。

小川又次は、
「清国征討方略」
と呼ばれる作戦構想をまとめました。

当時の日本と清国との関係を分析し、
もし戦争になった場合に、
日本はどのように戦うのかを考えたものです。

ここには、
当時の日本陸軍がどのように周辺情勢を見ていたのか、
そして、どのような戦争を想定していたのかが表れています。

もちろん、
現在の私たちから見れば、
「戦争をどう勝つか」という発想そのものに複雑な思いを抱く部分もあります。

しかし歴史を振り返るときには、
その時代の人物が何を考え、
何を準備していたのかを見る必要があります。

小川又次は、
まだ実際に起きていない戦争について、
具体的な作戦を考えていた。

それだけ、
「戦争になってから考える」のではなく、

戦争になる前から考えておくこと

を重視していた人物だったのではないでしょうか。

日清戦争では山県有朋の参謀長に

1894年、日清戦争が始まります。

小川又次は、
山県有朋が司令官を務めた第一軍の参謀長として出征しました。

参謀長とは、
司令官を支えながら、作戦立案や部隊運用を担う重要な役職です。

ここでも小川又次は、
前線で自ら刀を振るうというより、
軍全体をどう動かすのかを考える立場にいました。

西南戦争で実戦を経験し、
その後、軍事を学び、
作戦を研究してきた。

それらが、
実際の戦争の中で試されることになったのです。

日清戦争後、小川又次はその功績によって男爵となり、
さらに陸軍中将へと昇進していきます。

日露戦争、第四師団長として

そして1904年。
日露戦争が始まります。

小川又次は、
第四師団長として出征。
第四師団は大阪を拠点とする部隊です。

小川又次が率いた第四師団は、
日露戦争の緒戦である南山の戦いなどに参加します。

南山は、ロシア軍が守る重要な防衛拠点でした。

小川又次は、
正面からただ力で押すのではなく、
敵の側面を攻撃することを重視したとされています。

そして、南山は日本軍によって攻略されます。

その後も戦闘は続き、
小川又次は遼陽会戦で負傷。
戦場を離れて帰国することになりました。

翌1905年には陸軍大将に昇進。

しかし、その後は予備役に入り、
1909年、62歳で亡くなりました。

戦うことより、「どう戦うか」を考えた人

小川又次の人生を振り返ってみると、
ひとつの特徴が見えてきます。

それは、
「どう戦うか」を考え続けた人生だったこと。

幕末から明治へ。
武士の時代から、近代国家へ。

刀や槍を中心とした戦いから、
組織と情報、地形、兵力を計算する近代戦へ。

世の中そのものが、
大きく変わっていきました。

その変化の中で小川又次は、
昔のやり方に固執するのではなく、
新しい軍事知識を学び、
外国人教師とも議論し、
自分なりの作戦を考えました。

「今謙信」という呼び名は、
そんな小川又次の能力を象徴するものだったのでしょう。

編集後記

小川又次という人を調べていて、
私が気になったのは、
「強い軍人だった」ということよりも、
自分たちの外にあるものを学び、戦い方そのものを考えた人だった。

当時の日本には、
それまで日本になかった近代的な軍事知識が必要でした。

小川又次は、
外国から来た軍事の専門家に学び、
西洋の軍事思想を吸収していきます。

ここで、
「学ぶ」ということについて考えさせられます。

学ぶというと、
知識を増やすことだと思いがちです。

けれど、
本当に大切なのは、
自分の知っている世界の外側を知ること。

人は、自分が知っていることを基準にして、
物事を判断します。

自分たちのやり方。
自分たちの常識。
これまでの経験。

それが当たり前になってしまうと、
その外側に、別の方法や考え方があることすら、
見えなくなってしまいます。

そして、
知らないものは、
「知らない」と自覚することさえ難しい。

だからこそ、
自分たちとは違う世界を知ることには意味があります。

違う技術を知る。
違う考え方を知る。
違う経験をしてきた人たちの話を聞く。


そうすることで初めて、
「自分たちが当たり前だと思っていたものは、
世界の中では、その一つに過ぎなかった」と気づくことがあります。

これは、
戦争だけの話ではありません。

仕事でも、

「この業界では、これが普通」
「この会社では、昔からこうしている」
「この仕事は、こういうものだから」

と考えているうちに、
世の中のほうが先に変わっている。

そんなとき必要なのは、
今までの経験を捨てることではありません。

自分の経験を、もっと広い世界の中に置いてみること。

そのために、学ぶ。

新しい知識を得ることで、
今まで見えていなかったものが見えるようになる。

そして、
少し高いところから自分のいる場所を眺めることで、
「これしかない」と思っていたものの横に、
別の選択肢があることに気づく。

私は、
ここに「学ぶことの広さと高さ」があるように思います。

広さとは、
自分の知らない世界を知ること。

高さとは、
知ったことによって、
自分が今までいた場所を、
少し離れたところから眺められるようになること。

小川又次が学んだのは、
日本の外にある軍事思想を知ることで、
日本の軍事を、
それまでとは違うところから考えることができた。

もちろん、
私たちの仕事や人生を、
小川又次の生きた軍事の世界と同じように考えることはできません。

それでも、

知らないことを知ると、
自分の常識の輪郭が見えてくる。


これは、
今を生きる私たちにとっても、
大切なことではないでしょうか。

知っていることが増えるだけではない。

自分がどこまでしか知らなかったのかも、
見えてくる。

だから、学ぶ。

答えを増やすためだけではなく、
自分の見ている世界を、少しずつ広げ、
そして少し高いところから眺めるためにある。


小川又次という人物をたどりながら、
そんなことを考えました。

また、来週の金曜日の偉人伝もお楽しみに。

\プロのサービスをここから予約・申込みできます/

鎌田千穂プロのサービスメニューを見る

リンクをコピーしました

Mybestpro Members

鎌田千穂
専門家

鎌田千穂(産業カウンセラー)

Chi-ho’s studio

組織課題を広い視野で捉え、主体性を持った思考と行動力、公私の均衡を図る自律型人材育成を行うこと。分析・統計による業務改善の解決策を示し、個人の悩みを解き放ち、企業の繁栄に繋げることが専門です。

鎌田千穂プロは九州朝日放送が厳正なる審査をした登録専門家です

関連するコラム

プロのおすすめするコラム

コラムテーマ

コラム一覧に戻る

プロのインタビューを読む

業務改善と人材育成のプロ

鎌田千穂プロへの仕事の相談・依頼

仕事の相談・依頼