福岡の偉人:みやま市 戦艦「大和」の最期を指揮した伊藤整一

鎌田千穂

鎌田千穂

テーマ:この世界、知らんことだらけ

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さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはいけない人がいます。

大きな組織の中で、
自分の考えを持つこと。

そして、
自分の考えとは違う決定が下されたとき、
その中で何を選び、どう行動するのか。

今回は、
みやま市が生んだ海軍軍人、
伊藤整一(いとう せいいち/1890年~1945年)のお話です。

有明海を望む土地から、海軍へ

1890年、現在のみやま市にあたる福岡県三池郡高田町付近に生まれた伊藤整一。

旧柳河藩の藩校の流れをくむ伝習館中学で学び、
海軍兵学校へ進みます。

1911年、海軍兵学校を卒業。

その後、海軍大学校にも進み、
海軍の中枢を担う軍人として、
少しずつ頭角を現していきました。

1927年にはアメリカへ駐在武官として派遣され、現地で学びます。

このとき親交を深めた人物の一人が、
後に太平洋戦争でアメリカ側の指揮官となるレイモンド・スプルーアンス。

二人は、戦争になるずっと前に知り合っていたのです。

敵味方として向き合うことになる二人が、
かつては同じ時代を生きる軍人として交流していた。

歴史には、そんな不思議なつながりがあります。

海軍の中枢へ

伊藤整一は帰国後も海軍で要職を歴任します。

艦長や艦隊参謀長を務め、
1941年には軍令部次長に就任。

太平洋戦争開戦前後の、
日本海軍の重要な意思決定に関わる立場となりました。

そして1944年12月。
戦局がすでに厳しくなっていた時期に、
第二艦隊司令長官に就任します。

第二艦隊の旗艦となったのが、あの戦艦「大和」でした。

「大和」に与えられた最後の任務

1945年。
アメリカ軍が沖縄へ上陸すると、
日本海軍は沖縄方面への作戦を進めます。

その中で決定されたのが、
戦艦「大和」を中心とする水上部隊の出撃でした。

目的地は沖縄。

燃料は片道分。

沖縄へ向かい、
敵艦隊を攻撃した後は、
沖縄の浅瀬に乗り上げて砲台となることまで想定された作戦。

つまり、帰還を前提とした通常の作戦ではありません。

伊藤整一は、
この作戦に対して、
当初から疑問を持っていたとされています。

航空機による十分な援護がないまま大和を出撃させても、
敵航空機によって撃沈される可能性が高い。

そうなれば、
多くの乗組員の命が失われる。

合理的に考えれば、
成功の可能性が低い作戦だったからです。

それでも、命令は下された

ここが、伊藤整一という人物を考える上で重要なところ。

伊藤整一は、ただ命令に従った人物ではありません。
作戦の問題点を指摘し、反対した。

しかし、
最終的には上層部から出された命令を受け、
第二艦隊を率いることになります。

組織の中にいると、
「自分はこう思う」という意見と、
「組織として決まったこと」の間に、
大きな溝が生まれることがあります。

そして、立場が上になればなるほど、
その決定によって影響を受ける人の数も増えていきます。

自分一人の問題ではありません。

自分の判断によって、
誰かの人生が変わる。

伊藤整一が向き合ったのは、
まさにそんな立場だったようです。

若い命をどうするのか

「大和」の出撃を前に、
伊藤整一が若い少尉候補生たちを退艦させたことも伝えられています。

このエピソードについては、
伊藤整一の生涯を扱った中田整一氏の著書『四月七日の桜』でも大きく取り上げられています。

同書の目次には、
「若い命を救った長官の決断」
「合理主義者の特攻観」
「候補生退艦」
という章が置かれています。

自分たちが向かう先がどうなるのか。

その現実を知っていたからこそ、
若い人間まで同じ場所へ連れていく必要があるのか。

そう考えたのかもしれません。

ここには、軍人としての伊藤整一とは別に、
「人を預かる立場」としての伊藤整一の姿が見えてきます。

運命が動いた1945年4月7日

1945年4月6日、
「大和」は徳山沖を出撃します。

翌4月7日、鹿児島県坊ノ岬沖。

アメリカ軍機による攻撃を受け、
「大和」は大きく損傷。

午後2時17分沈没。

伊藤整一も、
その最期を艦上で迎えます。

戦死後、
海軍大将に進級しました。

享年54歳。

「大和」とともに最期を迎えた海軍軍人。

伊藤整一の名前は、
現在では「大和」と結びつけて語られることが多くなっています。

けれど、伊藤整一の人生は「大和」の数日間だけではありません。

有明海を望む福岡の地で育ち、
海軍兵学校へ進み、
海外へ赴任し、
異なる国の軍人とも交流し、
海軍の中枢で意思決定に関わり、
最後は自らが艦隊を率いる立場になった。

その長い人生の最後に、
「大和」という一隻の戦艦があったのです。

編集後記

人は、自分一人の人生だけを考えていればいいときばかりではありません。

仕事でも、家庭でも、組織でも。

自分の判断によって、
誰かに影響が及ぶことがあります。

だからこそ、
立場が上がるほど、
「自分はどうしたいか」だけでは決められなくなる。

伊藤整一の人生を見ていると、
組織の中で自分の意見を持つことと、
組織の決定を引き受けることは、
別の問題なのだと感じます。

反対することも必要。

けれど、反対が通らなかったとき、
その後をどうするのか。

そこにも、
その人の責任が表れます。

そしてもう一つ。

人を育てる立場になったとき、
「自分と同じ道を歩かせること」が、
本当にその人のためなのか。

伊藤整一が若い候補生たちを退艦させたという記録には、
そんなことを考えさせられるものがある。

誰かを守るということは、
自分の考えを押しつけることではない。

その人がこれから生きていく時間まで考えること。

そんな視点を持つことも、
人を預かる立場には必要なのかもしれません。

「大和」の最期だけを見れば、
伊藤整一の人生は悲劇で終わったように見えます。

けれど、その人生を長い時間で見てみると、
一人の人間が、
組織の中で考え、迷い、決断し、
そして最後まで自分の立場を引き受けた姿が見えてきます。

私たちの人生でも、
思い通りにならない決定に出会うことがあります。

そのとき、
「自分は何を考えているのか」だけでなく、
「自分の決断によって、誰がどうなるのか」まで考えてみる。

そこに、
一つの答えが見えてくるのかもしれません。

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