福岡の偉人:久留米市 未来都市を描き続けた建築家・菊竹清訓

さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはいけない人がいます。
相手がどれほど大きな権力を持っていても、
疑問があれば遠慮なく問い続ける。
その姿勢を貫いた政治家がいました。
今回は、
福岡市が生んだ政治家、
楢崎弥之助(ならざき やのすけ/1920年~2012年)のお話です。
生い立ち
楢崎弥之助は、1920年に福岡市で生まれました。
旧制中学から大学へ進み、
戦争を経験した後、新聞記者として社会に出ます。
取材を通して政治や社会の問題に触れ、
「政治は国民のためにあるべきだ」
という思いを強くしていきました。
その後、日本社会党から衆議院議員となり、
長年にわたり国会で活動します。
「国会の爆弾男」と呼ばれた政治家
楢崎弥之助を語る上で欠かせないのが、
数々の政治疑惑を追及したこと。
特に有名なのが、
ロッキード事件やリクルート事件などの追及。
膨大な資料を集め、
関係者の証言を調べ、
国会で次々と問題を明らかにしていきます。
その追及の鋭さから、
人々は楢崎弥之助を
「国会の爆弾男」
と呼ぶようになりました。
決して感情だけで相手を批判するのではなく、
事実を積み重ねて質問する。
だからこそ、
与党からも野党からも一目置かれる存在だったのです。
真実を知るための努力
楢崎は、
「調査なくして告発なし」
という姿勢を大切にしていました。
思い込みで人を責めることはしない。
自分が納得するまで資料を集め、
現場を調べ、
証拠を確認する。
その積み重ねがあったからこそ、
国会での発言には重みがありました。
華やかな政治家というより、
地道な努力を惜しまない調査者だったとも言えるでしょう。
晩年まで貫いた信念
政治の世界では、
立場や利害関係によって発言が変わる人も少なくありません。
しかし楢崎は、
権力の大小ではなく、
「それは正しいことなのか」
という視点で行動し続けました。
2012年、
92歳でその生涯を終えます。
華々しい功績よりも、
民主主義には権力を監視する人が必要だということを、
人生をかけて示した人物だったのではないでしょうか。
編集後記
楢崎弥之助は、
政治を監視することの大切さを教えてくれました。
その目的は政治をより良くすることだったのだと思います。
だからこそ、監視することと、何でも反対することは違うと感じています。
民主主義は、
自分と同じ考えの人だけで集まる仕組みではありません。
異なる意見を持つ人たちが、
対話を重ねながら、
より良い答えを探していく仕組みです。
私は2010年、
高島市長が就任間もない頃の政経勉強会で、
福岡の将来構想を聞く機会がありました。
当時は、
「本当に実現できるのだろうか?」
と思うほど壮大な構想。
・・・あれから16年。
天神ビッグバンや博多コネクティッドという形で、
賛否はあるものの、
構想は着実に現実になっています。
政策とは、
今日の拍手を集めるものではなく、
10年、20年後に実を結ぶもの。
楢崎弥之助が教えてくれた
「政治を監視する姿勢」は、
これからも必要でしょう。
ただ同時に、
私たち有権者も、
「誰が未来を描き、その未来へ向かう道筋を示しているのか。」
そんな視点を持つことも、
民主主義を支える私たちの役割なのかもしれません。


