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目次
Vol.1では、古代イスラエル、ヘブライ聖書とユダヤ教の形成、キリスト教の成立、そしてヨーロッパ社会における反ユダヤ主義の歴史を見てきました。
Vol.2では、近代シオニズム、第一次世界大戦期の英国外交、パレスチナ委任統治、ホロコースト、国連分割案、そして1948年のイスラエル建国と、パレスチナ人にとってのナクバまでを整理しました。
ここまで歴史を遡ってきた理由は、現在のイスラエル・パレスチナ問題を、2023年10月7日以後の出来事だけから理解することができないからです。
同時に、古代の宗教だけから現在を説明することもできません。
現在の対立を形成したのは、
宗教的記憶。
民族主義。
迫害と難民化。
国家建設。
領土。
軍事占領。
安全保障。
テロと武装闘争。
大国外交。
そして、失敗と挫折を繰り返してきた和平交渉です。
本稿では、この3話構成の最終回として、1948年以後の歴史をたどりながら、なぜ現在まで和平が実現していないのかを考えていきます。
そして最後に、この問題を日本から見る私たちが、宗教や歴史を学ぶことにどのような意味があるのかについて考えてみたいと思います。
世界の重要な宗教を理解せずに、国際情勢は理解できない
私は、海外で仕事をするようになってから、宗教を知らずに世界を理解することは難しいと強く感じるようになりました。
ここでいう「宗教を理解する」とは、その宗教を信仰するという意味ではありません。
また、宗教を知れば、ある国や民族の行動をすべて予測できるという意味でもありません。
同じ宗教を信仰する人々の中にも、思想、生活、政治的立場には大きな違いがあります。
ユダヤ人のすべてが、イスラエル政府の政策を支持しているわけではありません。
イスラム教徒のすべてが、パレスチナ問題について同じ考え方を持っているわけでもありません。
キリスト教徒の政治的立場も、国、宗派、個人によって異なります。
したがって、
「この人はユダヤ教徒だから、こう考える」
「イスラム教徒だから、このように行動する」
と決めつけることは、むしろ世界を誤って理解することになります。
しかし一方で、宗教が何百年、何千年という時間を通じて、社会の価値観、文化、祝祭日、生活習慣、家族観、倫理、法律、そして政治思想に影響を与えてきたことも事実です。
例えば、ユダヤ教における安息日。
イスラム教におけるラマダーンや金曜礼拝。
キリスト教社会におけるクリスマスや復活祭。
こうしたものは、単なる宗教行事ではなく、社会の時間の使い方や商習慣にも影響します。
海外で事業を行えば、こうした違いは現実の仕事として現れます。
商談の日程。
営業時間。
食事。
服装。
雇用。
休日。
金融。
家族との関係。
現地の従業員や取引先が大切にする価値観。
それらの背景を理解せず、日本での常識だけを基準に海外を見ると、相手の行動を誤解することがあります。
イスラエル・パレスチナ問題は、その典型的な事例です。
宗教だけで説明することはできません。
しかし、宗教を無視して理解することもできません。
国際社会を理解するために必要なのは、宗教を「答え」にすることではなく、歴史、民族、国家、経済、安全保障と並ぶ一つの重要な分析軸として理解することです。
私は、そう考えています。
1948年以後、宗教・領土・難民・安全保障が重なっていった
1948年にイスラエルが成立した後、イスラエルと周辺アラブ諸国との間では、複数の戦争が起こりました。
ここで重要なのは、1948年以後の対立を、単なるユダヤ教とイスラム教の戦争と考えないことです。
実際には、国家間戦争。
領土。
パレスチナ難民。
アラブ民族主義。
冷戦。
原油。
大国外交。
そしてパレスチナ人の民族自決。
こうした問題が重なっていきます。
1956年には、スエズ運河をめぐって第二次中東戦争、いわゆるスエズ危機が起こりました。
そして、現在のイスラエル・パレスチナ問題を考えるうえで決定的な転換点となったのが、1967年の第三次中東戦争です。
この戦争によって、イスラエルはヨルダン川西岸、東エルサレム、ガザ地区、エジプトのシナイ半島、シリアのゴラン高原を占領しました。
その後、シナイ半島はエジプトとの和平によって返還されました。
しかし、ヨルダン川西岸、東エルサレム、ガザをめぐる問題は、その後のイスラエル・パレスチナ紛争の中心になります。
国際社会では、1967年以後のヨルダン川西岸、東エルサレムなどを「占領地」と位置付ける理解が広く採用されています。
2024年には国際司法裁判所(ICJ)も、ヨルダン川西岸と東エルサレムにおけるイスラエルの入植政策などについて国際法上の問題を指摘しました。
一方、イスラエル側は安全保障、歴史的権利、領土の法的地位などについて異なる主張をしてきました。
この領土問題が、現在まで和平を困難にしている中心的な問題の一つです。
そして1967年以後、パレスチナ問題の性格も変わっていきます。
1948年以後、国際社会ではパレスチナ問題が難民問題として扱われることが多くありました。
しかし、次第に、
「パレスチナ人自身が国家と民族自決を求める問題である」
という政治的な側面が前面に出てきます。
その中心的な存在となったのが、1964年に設立されたパレスチナ解放機構、PLOです。
PLOは、武装闘争も含めながら、パレスチナ民族の政治的権利を主張していきました。
1970年代には、PLOは国際社会におけるパレスチナ人の代表としての地位を強めます。
同じ1970年代、中東問題は、日本経済とも直接結びつくようになります。
1973年の第四次中東戦争を契機として、アラブ産油国による原油政策が世界経済を揺さぶり、第一次石油危機が発生しました。
ここで初めて、多くの日本人が、
「遠い中東の戦争が、日本のガソリン価格、物価、企業経営、そして国民生活を変える」
という現実を経験しました。
ただし、この歴史を、
「ユダヤ人の金融力対アラブ人の原油」
という構図で理解してはいけません。
これは、歴史的にも現代の地政学分析としても適切ではありません。
ユダヤ人と金融を結びつける一般化は、ヨーロッパにおける反ユダヤ主義の中で形成されてきた典型的なステレオタイプでもあります。
現代の中東を理解するなら、見るべきものは民族的属性ではなく、
国家。
資源。
軍事力。
同盟関係。
産業。
金融市場。
外交政策。
という具体的な制度と利害です。
そして、イスラエルとアラブ諸国の関係も、永遠に固定した敵対関係ではありません。
1979年には、エジプトとイスラエルが平和条約を締結しました。
1994年には、ヨルダンもイスラエルと平和条約を結んでいます。
これは非常に重要です。
もし、この対立が純粋な宗教戦争であるならば、このような国家間和平を説明することは難しくなります。
国家は、宗教だけではなく、安全保障、領土、経済、国内政治、国際関係を考えて行動するからです。
そして1987年、イスラエル占領下のヨルダン川西岸とガザ地区で、第一次インティファーダと呼ばれるパレスチナ人の大規模な蜂起が始まりました。
この時期に誕生したのが、イスラム抵抗運動、ハマスです。
ここでも、PLOとハマスを同じものとして考えてはいけません。
PLOの中心勢力であるファタハは、民族主義的なパレスチナ解放運動を基盤としています。
一方、ハマスは、ムスリム同胞団系のイスラム主義運動を背景として、1987年に形成されました。
パレスチナ人の側にも、政治的・宗教的立場の違いが存在するのです。
その後、1993年に大きな転換が訪れます。
オスロ合意です。
イスラエル政府とPLOは相互承認へ進み、パレスチナ自治政府を設置し、ヨルダン川西岸とガザ地区で段階的に自治を進める枠組みに合意しました。
これは、歴史的な転換でした。
それまで互いの政治的正統性を認めていなかったイスラエルとPLOが、交渉相手として向き合ったからです。
しかし、オスロ合意は最終和平そのものではありませんでした。
最も難しい問題は、将来の交渉へ先送りされました。
国境をどこにするのか。
エルサレムをどうするのか。
ユダヤ人入植地をどうするのか。
パレスチナ難民の帰還問題をどうするのか。
イスラエルの安全をどのように保障するのか。
そして、最終的なパレスチナ国家をどのような形で成立させるのか。
これらについて、双方は最終合意に到達できませんでした。
1995年には、オスロ和平を進めていたイスラエルのイツハク・ラビン首相が、和平政策に反対するイスラエル人過激派によって暗殺されます。
パレスチナ側でも、ハマスなど和平路線に反対する勢力による攻撃が続きました。
つまり、和平を妨げたのは、一方の社会だけではありません。
双方の内部に、妥協を受け入れない政治勢力が存在していました。
2000年には第二次インティファーダが始まり、イスラエル・パレスチナ間の暴力は再び激化します。
2005年、イスラエルはガザ地区から入植者と地上部隊を撤収しました。
しかし、これでガザ問題が解決したわけではありません。
2006年のパレスチナ立法評議会選挙ではハマスが多数議席を獲得しました。
その後、ファタハとハマスの対立は武力衝突へ発展し、2007年にはハマスがガザ地区を掌握します。
それ以後、パレスチナ政治は、実質的に、
ガザ地区を支配するハマス。
ヨルダン川西岸を中心とするパレスチナ自治政府。
という政治的分裂を抱えることになりました。
イスラエルはガザへの封鎖・移動制限を強化し、ガザからはイスラエルへのロケット攻撃が繰り返され、その後も周期的に大規模な軍事衝突が起きました。
こうして、1990年代には和平へ向かうかに見えた問題が、再び深刻な暴力の連鎖へ戻っていったのです。
ホロコーストの記憶と、欧米の対イスラエル政策
現代のイスラエルと欧米諸国との関係を考える際、ヨーロッパにおける反ユダヤ主義とホロコーストの歴史を無視することはできません。
中世から近代まで、ヨーロッパのさまざまな地域で、ユダヤ人は宗教的・社会的差別を受けました。
そしてナチス・ドイツとその協力者によって、約600万人のユダヤ人が殺害されました。
しかし、ホロコーストを、
「キリスト教社会がそのままナチズムへ発展した」
という一本の因果で説明することもできません。
近代的な人種主義。
民族主義。
反ユダヤ主義。
独裁政治。
戦争。
官僚制度。
そして、多数の人々の協力や傍観。
さまざまな要因が重なって、ホロコーストは実行されました。
それでも、ヨーロッパ社会に長く存在した反ユダヤ的偏見が、その歴史的背景の一つであったことは否定できません。
その記憶は、第二次世界大戦後のヨーロッパ政治に大きな影響を残しました。
しかし、そこから、
「欧米は歴史的責任があるため、イスラエルを批判できない」
と結論づけるのも正確ではありません。
欧米諸国の対イスラエル政策は一様ではありません。
米国とイスラエルには、長期的な安全保障協力があります。
その背景には、中東における地域戦略、軍事・情報協力、国内政治、歴史的・文化的関係など、複数の要因があります。
ヨーロッパ諸国の間でも、イスラエルとの関係、パレスチナ国家承認、ガザでの軍事行動、入植地問題について、政策には大きな違いがあります。
したがって、
「欧米」
を一つの意思を持つ主体として扱うべきではありません。
そして、ホロコーストの歴史的記憶と、現在のイスラエル政府の政策評価も分ける必要があります。
歴史的なユダヤ人迫害を理解することは、現在のイスラエル政府のすべての政策を支持することを意味しません。
同時に、現在のイスラエル政府への批判を、ユダヤ人全体への敵意へ転化させてもいけません。
国家。
政府。
宗教。
民族。
個人。
これらを区別することが必要です。
2024年11月、国際刑事裁判所(ICC)は、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と当時のヨアブ・ガラント国防相に対し、戦争犯罪および人道に対する罪の容疑に基づいて逮捕状を発付しました。
これは有罪判決ではなく、国際刑事司法手続きにおける逮捕状です。
イスラエルはICCの管轄権などを争ってきました。
このように、現在のイスラエルをめぐっても、国際法、安全保障、人道問題について激しい議論が続いています。
日本の立場も単純ではありません。
日本政府は、イスラエルとパレスチナが平和と安全のうちに共存する二国家解決を支持しています。
同時に、日本は中東の湾岸諸国との関係を、エネルギー安全保障上、非常に重視しています。
日本は原油の大部分を中東に依存しているからです。
したがって、日本が中東外交を考える際には、
米国との同盟関係。
イスラエルとの関係。
パレスチナ問題。
湾岸諸国との関係。
イランとの関係。
エネルギー安全保障。
海上交通路。
これらを同時に考えなければなりません。
ここにも、
「どちらを支持するか」
だけでは説明できない、国際政治の複雑さがあります。
なぜ、イスラエル・パレスチナ和平はこれほど難しいのか
では、なぜイスラエル・パレスチナ問題は、これほど長期間にわたって解決できないのでしょうか。
私は、歴史を追っていくと、大きく六つの問題が重なっていることが分かると思います。
第一は、国家と民族自決です。
イスラエルのユダヤ人にとって、イスラエルは自らの民族的安全を保障する国家です。
一方、パレスチナ人もまた、自らの国家を持つ民族自決の権利を求めています。
二つの民族が、同じ土地について、それぞれ正統な歴史的・政治的要求を持っています。
第二は、領土と入植地です。
1967年以後、イスラエルはヨルダン川西岸を占領し、そこには多数のイスラエル人入植地が形成されてきました。
国際司法裁判所は2024年の勧告的意見で、ヨルダン川西岸と東エルサレムにおけるイスラエルの入植政策について、国際法に違反すると判断しています。
しかし、現実には、大規模な人口とインフラがすでに存在しています。
将来の国境をどこへ引くのかという問題は、理念だけでは解決できません。
第三は、エルサレムです。
エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教にとって重要な意味を持つ都市です。
イスラエルはエルサレムを自国の首都と位置付けています。
パレスチナ側は、東エルサレムを将来のパレスチナ国家の首都とすることを求めています。
宗教と国家主権が、一つの都市で重なっています。
第四は、難民問題です。
1948年の戦争によって、多数のパレスチナ人が故郷を離れました。
その子孫を含む難民問題は、現在まで続いています。
帰還をどこまで認めるのか。
補償をどうするのか。
イスラエル国家の人口構成と、パレスチナ人の権利をどのように両立させるのか。
極めて難しい問題です。
第五は、安全保障です。
イスラエル社会には、1948年以後の戦争、テロ、ロケット攻撃、そして2023年10月7日のハマスなどによる大規模攻撃の記憶があります。
一方、パレスチナ社会には、占領、入植、移動制限、軍事作戦、拘束、土地喪失などについて長期間にわたる経験があります。
双方の社会に、相手に対する強い不信と恐怖があります。
和平交渉では、土地だけを分ければよいわけではありません。
「相手が約束を守ると信じられるのか」
という問題を解かなければなりません。
そして第六が、双方の内部政治です。
イスラエル社会にも、二国家解決を支持する人々から、それに反対する人々まで、さまざまな政治的立場があります。
パレスチナ側も一枚岩ではありません。
パレスチナ自治政府とハマスの政治的分裂が続いてきました。
誰がパレスチナ側を代表して最終和平に署名できるのか。
その合意を社会全体が受け入れるのか。
これも大きな問題です。
この六つを見れば、
「停戦すれば和平になる」
わけではないことが分かります。
もちろん、停戦は人命を守るために極めて重要です。
しかし、停戦とは、銃撃や空爆を止めることです。
平和とは、その先に、政治的秩序をつくることです。
2025年10月にはガザで停戦枠組みが成立しました。
しかし2026年9月現在も、その停戦は脆弱な状態にあり、ガザでは死傷者を伴う攻撃が続き、ヨルダン川西岸でも入植地拡大や暴力をめぐる緊張が続いています。
国際社会は依然として二国家解決を中心的な和平構想として掲げていますが、その実現条件をどのようにつくるのかという問題は解決していません。
だからといって、
「この問題は永遠に解決しない」
と考えるべきでもありません。
実際、かつて戦争を繰り返したエジプトとイスラエルは和平しました。
ヨルダンとイスラエルも和平しました。
イスラエルと複数のアラブ諸国が外交関係を正常化した例もあります。
歴史が対立を生み出すことがある一方で、政治は、その歴史を乗り越える制度をつくることもできます。
この3話を通じて、私が最も伝えたかったことは、ここにあります。
歴史を知るということは、現在の誰かの行動を正当化することではありません。
宗教を知るということも、その宗教を信じる人々を一つの類型に押し込めることではありません。
歴史と宗教を学ぶ目的は、目の前で起きている出来事について、「なぜ、そこに至ったのか」を複数の視点から考えられるようになることです。
国際情勢について、ニュースの見出しだけを読めば、善と悪の単純な物語をつくることは容易です。
しかし、現実の世界は、それほど単純ではありません。
一つの民族が持つ歴史的な恐怖と、もう一つの民族が持つ歴史的な喪失感が、同じ場所で衝突することがあります。
安全保障を求める行動が、相手側には新たな脅威として認識されることがあります。
一方の正義が、もう一方からは不正義に見えることもあります。
だからこそ、国際社会を理解するには、現在のニュースから時間を遡り、歴史、宗教、制度、経済、地政学を重ねて見る必要があります。
これは、経営者にとっても無関係な思考法ではありません。
中東での緊張は、原油や天然ガスの価格だけに影響するわけではありません。
海上物流。
保険料。
為替。
サプライチェーン。
サイバー攻撃。
制裁。
輸出管理。
海外従業員の安全。
取引先企業の信用リスク。
さまざまな経路を通じて、日本企業にも波及します。
しかし、私は、このシリーズを、単に
「中東リスクに備えましょう」
というビジネス記事にしたいとは思いません。
もっと重要なのは、世界を理解するための知的姿勢です。
知らない宗教を学ぶ。
自分とは異なる民族の歴史を読む。
自分が支持したい側だけではなく、反対側の歴史認識も確認する。
事実と信仰を分ける。
歴史的事実と政治的主張を分ける。
国家と民族と宗教を混同しない。
そして、自分が最初に持った印象についても、資料を読みながら修正していく。
国際社会を見る力とは、自分の意見を強く主張する力ではなく、複雑な現実を、複雑なまま理解しようとする力なのだと、私は考えています。
イスラエルとパレスチナの歴史は、そのことを私たちに強く教えてくれる題材の一つです。
この3話シリーズでは、古代イスラエルとユダヤ教の形成から、反ユダヤ主義、シオニズム、イスラエル建国、ナクバ、1967年以後の占領、PLO、オスロ合意、ハマス、そして現在のイスラエル・パレスチナ問題までを見てきました。
前回 Vol.2
https://mbp-japan.com/tokyo/yoshinori-matsumoto/column/5184376/
歴史を知ることは、現在の政策を正当化することでも、誰かを非難することでもありません。異なる人々が何を記憶し、何を恐れ、何を失ってきたのかを理解したうえで、現在の世界を考えるための土台を持つことだと、私は考えています。


