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日本からみた、イスラエル
2023年10月7日、ハマスなどによるイスラエルへの大規模攻撃が発生し、その後、イスラエルはガザ地区で大規模な軍事作戦を展開しました。
その軍事行動をめぐって、イスラエルは自国民の安全と人質解放、ハマスの軍事能力の排除を安全保障上の目的として掲げる一方、ガザにおける民間人被害や人道状況をめぐって、国際社会から強い批判も受けてきました。
国際刑事裁判所(ICC)は2024年11月21日、ベンヤミン・ネタニヤフ首相と当時のヨアブ・ガラント国防相について、人道に対する罪および戦争犯罪の容疑に基づく逮捕状を発付しました。一方、イスラエル政府はICCの管轄権などを争っています。したがって、ここで重要なのは、司法手続き上の「容疑」と、確定した司法判断を区別することです。
私は、この問題について、イスラエルの現在の政策を擁護するためでも、逆に非難するためでもなく、
「なぜ、この国家は安全保障に対して、これほど強い意識を持つのか」
という問いを、歴史と宗教の側から考えてみたいと思います。
ただし、最初に一つ、重要なことを明確にしておかなければなりません。
現代のイスラエル政府の政策を、旧約聖書やユダヤ教だけから説明することはできません。
現代イスラエルの政策は、1948年の建国、その後の中東戦争、パレスチナ問題、周辺国との関係、テロと安全保障、軍事・情報機関の制度、国内政治、米国との関係など、近現代のさまざまな要因によって形成されています。
宗教と古代史は、そのすべてを説明する答えではありません。
しかし、ユダヤ人が自らの歴史をどのように理解し、国家を持たないこと、迫害されること、自らを守る手段を失うことを、歴史的記憶の中でどのように位置付けてきたのかを理解することは、現代イスラエルを考えるうえで重要な背景知識になります。
日本からイスラエルを見る場合には、さらに日本独自の立場があります。
日本はイスラエルと外交関係を持ち、現在も政府間協議を継続しています。その一方で、日本政府はイスラエルと将来の独立したパレスチナ国家が共存する「二国家解決」を一貫して支持し、パレスチナへの支援も続けています。
また、日本の中東外交を理解するうえで、エネルギー問題を無視することはできません。
日本は原油のほぼすべてを海外から輸入しており、2024年には原油輸入の約95%を中東地域に依存していました。とりわけUAEとサウジアラビアの比率が非常に高く、日本にとって湾岸諸国との安定した関係は、外交問題であると同時に、国家のエネルギー安全保障そのものです。
したがって、日本の立場から中東を見るときには、
イスラエルとの関係。
パレスチナ問題。
米国との同盟関係。
サウジアラビアやUAEをはじめとする湾岸諸国との関係。
イランとの関係。
エネルギー安全保障。
これらを同時に見る必要があります。
「親イスラエルか、反イスラエルか」
という二択では、中東外交の実像は見えてきません。
そして、イスラエルという国家を理解しようとするならば、その前に、ユダヤ人とは誰なのか、ユダヤ教とはどのような宗教なのか、そしてユダヤ人がなぜ長い期間、国家を持たない共同体として生きてきたのかを理解する必要があります。
本稿では、その第一段階として、古代イスラエル、ヘブライ聖書、ユダヤ教の形成、イエスの登場、初期キリスト教、そしてヨーロッパにおける反ユダヤ主義の形成までを考えていきます。
イスラエルが誕生するまで
現在、日本では一般に「旧約聖書」という言葉が使われます。
しかし、これはキリスト教側から見た呼称です。
ユダヤ教にとって、それは「旧い契約」の聖典ではありません。ユダヤ教では、律法、預言書、諸書からなるヘブライ聖書、タナハとして読まれます。
この言葉の違いだけでも、歴史を見る立場によって、同じ文書の意味が変わることがわかります。
イスラエルを理解する際には、ここが非常に重要です。
聖書を、現代の歴史教科書と同じ意味で読むべきではありません。
そこには歴史的記憶が含まれていますが、同時に、神学、詩、律法、民族の起源を語る物語、後世から過去を解釈した記述も含まれています。
現代の聖書学でも、聖書に記されたすべての出来事を、独立した史料によってそのまま確認できるわけではないことが前提とされています。
したがって、以下では、
「ヘブライ聖書がどのように語っているのか」
と、
「歴史学・考古学から何が確認できるのか」
を区別しながら見ていきます。
古代ユダヤの発祥
古代イスラエルの歴史を考えるとき、その舞台となったのは、エジプトとメソポタミアという二つの巨大文明にはさまれた地域です。
現在のイスラエル、パレスチナ、レバノン、ヨルダン、シリア南部を含むレヴァント地方は、アフリカとアジアを結ぶ交通の要衝でした。
そのため、この地域は古代から、大国の支配が交差する場所でもありました。
エジプト。
ヒッタイト。
アッシリア。
新バビロニア。
ペルシア。
ギリシア。
そしてローマ。
後にユダヤ人が暮らすことになる土地は、こうした大国の勢力圏の間に置かれ続けました。
古代イスラエルを示す聖書以外の早い史料として知られるものの一つが、紀元前13世紀末頃のエジプト王メルエンプタハの碑文です。そこには「イスラエル」という名称が確認されます。これは、聖書に描かれた物語とは別に、少なくともこの時期に、カナン地方に「イスラエル」と呼ばれる集団が認識されていたことを示しています。
一方、ヘブライ聖書は、イスラエル民族の祖をアブラハムに求めます。
創世記の物語では、アブラハムは神との契約によって、後のイスラエルの歴史の起点となる人物として描かれます。
しかし、ここでも、聖書の宗教的物語と、歴史学上確認できる事実を分ける必要があります。
アブラハムという個人の生涯を、聖書とは独立した同時代史料によって確認することはできません。
それでも、アブラハムの物語が重要なのは、それが後世のユダヤ人に、
「自分たちはどこから来たのか」
「神との関係をどのように理解するのか」
を説明する根源的な物語になったからです。
そして、ここでユダヤ教を理解するための重要な概念が出てきます。
「契約」です。
ユダヤ教における「選ばれた民」という考え方は、ときに日本語では「自分たちは他民族より優れているという思想」と誤解されます。
しかし、その中心にあるのは、優越性というより、神との契約によって特別な義務を負うという考え方です。
選ばれているから自由になるのではなく、選ばれているから律法を守る責任を負う。
この構造が、ユダヤ教を理解するうえで重要です。
さらに注意しなければならないのが、一神教の成立時期です。
聖書の物語をそのまま読むと、アブラハムやモーセの時代から完成した一神教が存在していたように見えます。
しかし、歴史学・聖書学では、古代イスラエルの宗教が、カナン地方の多神教的文化の中から長期間をかけて形成され、ヤハウェだけを礼拝する信仰から、「他の神々はそもそも存在しない」とする普遍的な一神教へと発展した過程について議論が続いています。明確な一神教的表現が強まるのは、紀元前7世紀からバビロン捕囚前後にかけてだとする研究も有力です。
この点は、非常に重要です。
ユダヤ教は、ある一人の人物が一度に完成させた宗教ではありません。
国家の興亡。
異民族支配。
戦争。
捕囚。
帰還。
こうした歴史の中で、数百年をかけて形成された宗教なのです。
その過程で、ヘブライ聖書が伝えるもう一つの中心的物語が、モーセと出エジプトです。
聖書の物語では、モーセはエジプトで抑圧されていたイスラエルの民を率いて脱出し、シナイ山において神との契約を結び、律法を授かります。
これが、ユダヤ人の宗教的自己理解において極めて重要な意味を持つ「出エジプト」です。
ただし、聖書に記された規模と形の出エジプトが、考古学上そのまま確認されているわけではありません。
ここでも重要なのは、
「歴史的にすべて確認できるか」
だけではありません。
数千年にわたりユダヤ人が、
「自分たちは奴隷状態から解放され、神と契約を結んだ民である」
という物語を、自らの共同体の中心に置き続けてきたことです。
宗教において、共同体が共有する記憶は、それ自体が大きな力を持ちます。
そして紀元前1千年紀、古代イスラエルには王国が成立します。
やがて北のイスラエル王国と南のユダ王国に分かれ、北王国はアッシリアによって滅ぼされます。
南のユダ王国も、紀元前6世紀に新バビロニアによって征服され、エルサレムと神殿が破壊され、王侯・祭司・有力者などの一部がバビロニアへ連行されました。
これが、バビロン捕囚です。
紀元前586年のエルサレムと神殿の破壊から、ペルシア王キュロスの時代に帰還が認められるまでの経験は、ユダヤ人の宗教思想に非常に大きな影響を与えました。
ここで、ユダヤ教は重大な問いに直面します。
自分たちの神が本当に唯一の神であるなら、なぜ神殿は破壊されたのか。
なぜ国家を失ったのか。
なぜ異民族の支配を受けるのか。
古代世界では、戦争に負けることは、しばしば「自分たちの神が相手の神に負けた」と理解されました。
しかし、ユダヤ人の宗教思想は、別の答えを発展させます。
ヤハウェがバビロニアの神に敗れたのではない。
世界そのものがヤハウェの支配下にあり、イスラエルの敗北さえ、神と民との契約という枠組みの中で理解できる。
この発想によって、イスラエルの神は、特定の土地だけを支配する神から、世界を支配する普遍的な神として、より明確に理解されるようになります。
これは、宗教史上、非常に大きな転換です。
国家を失っても、神を失わない。
神殿を失っても、共同体を失わない。
土地を離れても、律法と記憶を共有することによって、自分たちはユダヤ人であり続けることができる。
この「国家を失っても存続できる共同体」という性格は、その後のユダヤ人の歴史を考えるうえで重要な意味を持つことになります。
一方で、この宗教的独自性が、そのままユダヤ人迫害を生んだと考えるべきではありません。
ユダヤ人が迫害された原因を、ユダヤ教そのものに求めてしまえば、迫害した側の政治・宗教・社会制度の責任を見失います。
後世のユダヤ人迫害は、キリスト教社会における反ユダヤ神学、政治権力、職業上の制限、経済的対立、疫病などの際のスケープゴート化、近代の民族主義や人種思想など、複数の要因によって形成されました。
この点は、後で改めて見ていきます。
イエスの誕生
バビロン捕囚から数百年後、ユダヤ地方はローマ帝国の支配下に置かれていました。
この時代のユダヤ社会は、一枚岩ではありません。
ファリサイ派。
サドカイ派。
エッセネ派。
武装抵抗を志向する人々。
ローマ権力と協調する人々。
そして一般の民衆。
第二神殿期のユダヤ社会には、律法、神殿、ローマ支配、民族の将来をめぐって、さまざまな立場が存在していました。
このユダヤ社会の内部から現れたのが、ナザレのイエスです。
ここで重要なのは、イエスを「ユダヤ教に対抗してキリスト教を創設した人物」と単純に捉えないことです。
歴史上のイエスは、ユダヤ人として生まれ、ユダヤ教の聖書を読み、ユダヤ人社会の中で活動した人物でした。
安息日。
清浄規定。
律法。
神殿。
隣人愛。
救い。
イエスが議論した問題の多くは、当時のユダヤ人社会内部で議論されていた問題です。
したがって、イエスとファリサイ派などとの論争も、
「キリスト教対ユダヤ教」
という後世の構図を、そのまま1世紀へ持ち込むべきではありません。
それは、ユダヤ教内部における宗教的論争でもありました。
イエスの教えの中では、貧しい人、病者、社会から排除された人々にも強い関心が向けられました。
また、後のキリスト教運動、とりわけパウロらの活動によって、イエスを救い主とする信仰は、ユダヤ人共同体の外側へと急速に広がっていきます。
この過程で、イエスを信じるユダヤ人運動は、次第にユダヤ教とは別の宗教共同体へと発展していきます。
しかし、その分離は、一夜にして起きたわけではありません。
初期キリスト教とユダヤ教は、長い期間、互いに接触し、論争し、影響し合いながら分かれていきました。
そして、イエスの死を考える際には、さらに慎重な歴史理解が必要です。
福音書には、エルサレムの一部宗教指導者とイエスの対立が描かれます。
しかし、十字架刑を執行したのはローマ権力です。
十字架刑は、ローマ帝国が反乱者や政治的脅威と見なした者などに科した刑罰でした。
現在の歴史研究においても、イエスはローマ当局の支配下で処刑されたと理解されています。
にもかかわらず、後世のキリスト教社会では、
「ユダヤ人がキリストを殺した」
という集団責任の思想が広がりました。
この「神殺し」の आरोपは、ヨーロッパにおける反ユダヤ主義の非常に重要な源流の一つとなります。
しかし、この集団責任論は、現代のカトリック教会自身によって明確に否定されています。1965年の第二バチカン公会議「Nostra Aetate」は、イエスの受難を当時あるいは現代のすべてのユダヤ人に帰責してはならないと明示しました。
これは、歴史を考えるうえで極めて重要な点です。
キリスト教世界で長く流布した反ユダヤ思想そのものを、歴史的事実と混同してはならないからです。
その後、キリスト教はローマ帝国内で拡大していきます。
4世紀にコンスタンティヌス帝のもとでキリスト教は公認され、380年にはテオドシウス1世の「テッサロニキ勅令」によってニカイア派キリスト教が帝国の公的正統として位置付けられ、その後、他宗教への制限も強まっていきました。
ここで、宗教と政治の関係は大きく変わります。
かつてローマ帝国の中で迫害される側だったキリスト教が、帝国権力と結びつき、ヨーロッパ社会の多数派宗教へと変化していったのです。
キリスト教によるユダヤ人への弾圧のはじまり
キリスト教がヨーロッパ社会の多数派宗教になるにつれて、ユダヤ人は少数派宗教共同体として生きることになります。
ここから長い反ユダヤ主義の歴史が始まります。
ただし、この歴史も、一つの原因だけから説明することはできません。
第一に、宗教的な反ユダヤ思想がありました。
ユダヤ人がイエスをメシアとして認めなかったこと。
キリスト教がユダヤ教に取って代わったとする「置換神学」。
そして、先ほど触れた「ユダヤ人がキリストを殺した」という誤った集団責任論です。
こうした教えは、中世ヨーロッパにおいてユダヤ人を「異質な存在」とみなす大きな要因になりました。
第二に、法制度上の排除がありました。
ヨーロッパのさまざまな地域で、ユダヤ人は土地所有、公職、職人ギルドへの加入などを制限されることがありました。
その結果、商業、金融、金銭貸付など、限られた職業へ進む人々が生まれました。
ここでも因果関係を逆にしてはいけません。
「ユダヤ人は金銭を好む民族だから金融業へ進んだ」
のではありません。
制度上の制約によって選択できる職業が限られたことが、その背景の一つです。
しかも、実際のユダヤ人の多くは裕福な金融業者ではなく、小商人や職人などとして生活し、多くは決して豊かではありませんでした。
しかし、一部のユダヤ人金融業者が目立ったことによって、
「ユダヤ人は金を支配している」
「ユダヤ人は貪欲である」
という偏見が形成されました。
これは後世、非常に危険な反ユダヤ的ステレオタイプへ発展していきます。
第三に、社会危機におけるスケープゴート化があります。
疫病。
経済危機。
戦争。
政治不安。
社会が不安定になるたびに、少数派であるユダヤ人が、その原因であるかのように語られることがありました。
中世には「ユダヤ人が井戸へ毒を入れ、ペストを広げた」といった虚偽の आरोपが広まり、ユダヤ人共同体への暴力につながりました。
そして近代に入ると、反ユダヤ主義は宗教の問題だけではなくなります。
19世紀の民族主義や人種思想の中で、
「ユダヤ人は宗教を変えても変わらない異質な人種である」
という、新しい形の反ユダヤ主義が形成されました。
これは、中世のキリスト教的反ユダヤ主義とは同じものではありません。
宗教的偏見を引き継ぎながら、民族主義、人種論、経済的陰謀論などが結びついた、近代的な反ユダヤ主義です。
そして、この思想が極端な国家政策として実行されたのが、ナチス・ドイツによるホロコーストでした。
ナチスとその協力者によって、約600万人のヨーロッパ系ユダヤ人が殺害されました。
しかし、ここでも、
古代のユダヤ教。
中世のキリスト教的反ユダヤ主義。
近代の人種的反ユダヤ主義。
ナチズム。
現代イスラエル。
これらを一本の直線として理解してはいけません。
歴史は、それほど単純ではありません。
それぞれの時代には、それぞれの政治、宗教、経済、社会の条件があります。
ただし、ユダヤ人の側から見れば、繰り返し迫害され、居住地を追われ、法的権利を制限され、最終的には国家による大量殺害まで経験したという歴史的記憶が残りました。
その記憶が、19世紀以降に生まれるシオニズム、そして20世紀のイスラエル建国を理解するうえで、重要な一つの背景になります。
そして、ここからが、現代イスラエルを理解するための次の段階です。
なぜ、近代ヨーロッパで、
「ユダヤ人自身の国家が必要である」
という思想が生まれたのか。
なぜ、その国家建設の場所として、パレスチナが選ばれたのか。
ヨーロッパ列強は、そこにどのように関与したのか。
当時すでにその土地で生活していたアラブ系住民との関係は、なぜ深刻な対立へ発展したのか。
ホロコーストは、イスラエル建国にどのような影響を与えたのか。
そして、1948年以後の戦争とテロ、安全保障環境が、イスラエル国家の政治文化に何を残したのか。
ここまで見て、初めて現在のイスラエルの安全保障観を考えるための土台が整います。
イスラエルの現在の軍事行動を、旧約聖書だけで説明することはできません。
しかし、国家を失うこと、少数派として迫害されること、自らを守る政治的・軍事的手段を持たないことへの歴史的な恐怖を理解せずに、イスラエルという国家を理解することも難しい。
この二つを同時に見ることが必要です。
歴史を知ることは、現在の政策を正当化することではありません。
同時に、現在の出来事だけを切り取って過去を無視することも、国際情勢を理解する方法として十分ではありません。
歴史を学ぶ意味は、誰かを擁護するためでも、非難するためでもなく、
「なぜ人々や国家が、そのように考えるようになったのか」
という背景を理解することにあります。
本稿では、その最初の層として、古代イスラエルから、ユダヤ教の形成、キリスト教の成立、そしてヨーロッパにおける反ユダヤ主義の歴史までを見てきました。
次回は、近代ヨーロッパにおけるシオニズムの成立、ホロコースト、パレスチナ問題、イスラエル建国へと進みます。
続編 イスラエルの歴史と中東情勢 Vol.2
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