副業から独立へ ~本気の人への伝言マガジン~ 事業アイデアをどう出すか?
1.副業の提案
現在、私は、国内外で事業を展開するURVグローバルグループのオーナーCEOとして、複数の事業会社を経営しています。
2017年3月1日、49歳で、それまで勤めていた企業の取締役を退任し、本格的に独立しました。
しかし、私の事業家としての歩みは、49歳から始まったわけではありません。
そのはるか前、会社員として働いていた20代から、自分自身の資金を投じて事業を始め、本業と並行しながら長い時間をかけて育ててきました。
最初は小さな飲食店でした。
そこから店舗を増やし、人を育て、組織をつくり、最終的には都内8店舗を経営する事業へ成長させました。
そして、独立に際して、その事業をM&Aによって大手企業へ譲渡し、そこで得た資本を、その後のURVグローバルグループの事業投資へ振り向けました。
つまり、私にとって副業とは、給与以外の収入を得るための小遣い稼ぎではありませんでした。
・副業を、将来の事業を小さく試す場として活用する
・給与所得がある段階で、事業経営の経験を積む
・得られた利益を生活費へ使わず、次の成長投資へ回す
・自分が現場で働き続けなくても動く組織をつくる
・最終的には、その事業自体を企業価値のある資産へ育てる
これが、私が会社員時代に実践してきた考え方です。
ただし、現在、副業として事業を行う場合には、勤務先の就業規則、競業避止義務、秘密保持義務、労働時間、税務、社会保険などを確認し、自らの責任で適切に進める必要があります。勤務先の顧客情報や営業秘密を利用したり、勤務先と競合する事業を無断で行ったりすることは、当然避けなければなりません。
私がこの記事でお伝えしたいのは、副業を隠して行う方法ではありません。
会社員という安定した収入を持つ時期に、将来、自分が経営者として生きるための経験、資本、人材、事業基盤をどうつくったかという話です。
以下、その軌跡を振り返ります。
2.私の副業の源流 21歳 ~株式投資からスタート~
私の事業家としての原点を振り返ると、大学時代まで遡ります。家庭の経済的な事情もあり、私は働きながら大学へ通っていました。
その過程で、急成長する企業の創業経営者の近くで仕事をする機会を得て、新規事業、新店舗、仕入れ、企業買収など、大学の講義だけでは学ぶことのできない経営の現場に触れました。
大学時代には株式投資も経験しました。非常に大きなリスクを取る投資も行い、一時的に大きな利益を得る経験もしました。
しかし、その経験から私が学んだのは、投機で一度利益を出すことと、継続して価値を生み続ける事業をつくることは、まったく違うということでした。その後、私は投機的な運用から距離を置き、得た資金を、事業をつくるための自己資本として使うようになりました。
これが、後の飲食事業の原資の一部になりました。
3.大学の新卒で、メガバンクになっている銀行に就職 23歳
大学卒業後、私は、現在のメガバンクにつながる大手銀行へ入行しました。配属された銀行系シンクタンクで、経営コンサルティングや不動産コンサルティングの実務に携わることになります。
ここで私は、企業の事業計画、財務、資金調達、マーケティング、組織、投資判断などを、仕事として学びました。後から振り返れば、この経験は、私自身が事業を経営するうえで極めて大きな財産になりました。
経営コンサルタントとして他社の経営を分析する。一方で、自分自身も資金を投じ、事業を経営する。
20代から、この二つを並行して経験したことが、現在の私の経営コンサルティングの原点になっています。
4.実姉の離婚と姉の将来のため、という副業スタートの発想 24歳
飲食事業を始めた直接のきっかけは、実姉でした。当時、姉は銀座で接客の仕事をしており、その後の人生をどうするかという転機に立っていました。
姉には料理の強みがありました。そこで私は、その強みを活かして、自分の店を持つことを提案しました。姉と共同で資金を出し、必要な資金については借入も利用し、銀座で小料理店を開業しました。
最初から、私自身が料理人として店に立つつもりはありませんでした。私は資金を用意し、事業計画を立て、店舗をつくり、必要な人材を配置する。姉や現場のスタッフには、それぞれの専門性を発揮してもらう。この役割分担は、その後、店舗を増やしていく際にも、基本的に変えていません。
私は、この時から、「自分が働く店をつくる」のではなく、「自分がいなくても動く事業をつくる」という発想で飲食事業を経営していました。
5.銀座に小料理屋をオープン 25歳 ~僕の飲食業 第一号店~
最初の店となった小料理店は、順調に立ち上がりました。姉には開業前に料理の修業をしてもらい、店舗についても、ターゲットとする顧客層と姉の持ち味に合わせて設計しました。
さらに、銀座で経験を積んだ人材を店舗運営に配置しました。
私は本業を持っていましたので、日々厨房やホールに立つことはできません。だからこそ、開業当初から、
誰に店を任せるのか。
誰が顧客をつくるのか。
誰が料理品質を守るのか。
誰が資金と経営を管理するのか。
という役割を明確にする必要がありました。
ここで得た利益についても、私は生活費として使うのではなく、会社に残し、次の投資へ回しました。私が副業時代に重視したのは、「副業からいくら自分の所得を得るか」ではなく、「会社にどれだけ再投資できる資本を残せるか」という考え方でした。
これは、その後の事業拡大において非常に重要でした。
利益を使ってしまえば、次の店舗は出せません。
利益を内部に残し、その資金を次の人材、店舗、設備へ再投資する。
この繰り返しによって、事業は徐々に大きくなっていきました。
6.姉の再婚により、単独経営へ 28歳
その後、共同経営していた姉が再婚し、店舗経営から離れることになりました。
ここで私には、二つの選択肢がありました。
店を閉じるか。自分が経営を引き継ぎ、事業として発展させるか。
私は後者を選びました。
すでに店舗には、現場を支えてきたスタッフがいました。私は、その人材を登用し、店の運営を任せることにしました。そして、別のスタッフには海外で料理を学ぶ機会をつくり、新しい業態の立ち上げに備えました。
共同経営者が離れたことを、私は事業縮小の理由にはしませんでした。
むしろ、「経営者自身が現場の中心人物でなくても事業が動く仕組みをつくれるか」という経営課題に向き合う機会になりました。
この経験は、現在、私が、いま、年商3000万円、1億円、3億円、5億円へ成長しようとするオーナー経営者にお伝えしている、「社長自身が売上をつくる会社から、組織が売上をつくる会社へ変える」という考え方の原点でもあります。
7.2号店の開業と、店舗拡大戦略 30歳
その後、私は米国の大学院へ留学し、MBAを取得しました。海外で学びながらも、日本の飲食事業は止めませんでした。現場を信頼できる人材へ任せ、私は事業計画、資金、投資判断、人材配置など、経営者として行うべき仕事を担いました。
そして、料理を学んで帰国した人材を中心に、表参道へ2店舗目となるイタリアンレストランを出店しました。
この2店舗目の成功によって、私の副業事業は次の成長段階へ進みました。
ここで私は、重要なことを学びました。
1店舗を成功させる能力と、複数店舗を経営する能力は違うということです。
1店舗であれば、優秀な店長一人の力で成功できることがあります。
しかし、2店舗、3店舗と増えていけば、人材採用、教育、資金管理、権限移譲、品質管理、ブランド管理といった「会社としての仕組み」が必要になります。
事業を大きくするとは、単に売上を増やすことではありません。
経営者個人の力に依存していた仕事を、一つずつ組織の機能へ移していくことなのです。
8.都内8店舗まで、19年かけて、一歩一歩、拡大を続ける
MBA取得後、私は米国で金融・経営コンサルティングの仕事に携わり、その後、日本に戻って大企業の役員として経営に関わりました。
本業では、経営コンサルタント、企業役員として、経営、金融、海外事業、M&Aなどの経験を積む。
一方、自分の飲食事業では、オーナー経営者として、店舗、人材、資金を運営する。
私は長い期間、この二つを並行させました。
振り返ると、これは、私にとって非常に重要な経営戦略でした。
本業からは、経営知識、専門性、人脈、所得を得る。
自分の事業では、それらを実際の投資と経営で検証する。
そこで得た利益は、さらに事業へ再投資する。
この循環を長期間続けました。
飲食事業の店舗を増やす際、私は急激な出店を目指しませんでした。
最も重視したのは、店舗を任せられる人材が育ってから、次の店を出すことでした。
飲食業では、立地や料理、ブランドも重要です。
しかし、複数店舗を展開する段階では、結局、店舗を任せられる責任者を何人育てられるかが、成長速度を決めます。
私は、自分で厨房へ入る経営ではなく、経営者として、
資金を準備する。
人材を見つける。
その人材に機会を与える。
必要な経営資源を用意する。
数字を管理する。
そして、現場へ権限を移す。
という方法で店舗を増やしました。
この方法は、急拡大には向きません。
しかし、一店ずつ収益性と人材を確認しながら成長することができます。
その結果、長い時間をかけて、飲食事業を都内8店舗まで拡大しました。この経験から私が学んだ最大のことは、会社を大きくするために必要なのは、社長自身の労働時間を増やすことではない、ということです。必要なのは、社長以外の人が成果を出せる仕組みをつくり、その仕組みに資本を再投資していくことです。
9.2017年に独立 49歳 ~年商5億円外食事業を、M&Aで売却し、資金に変える~
その後、私は日本へ帰国し、大企業の取締役として、経営コンサルティング事業、海外事業、内部管理、M&Aなどに携わりました。
そして2015年、現在のURVグローバルグループにつながる株式会社URVプランニングサポーターズを設立し、本格的な独立準備に入りました。
この段階で、私には、会社員としてのキャリアとは別に、長年育ててきた飲食事業がありました。
2017年2月末、本業である企業取締役を退任し、翌3月1日、独立しました。
長年経営してきた飲食事業については、M&Aによる売却という選択をしました。
これは、事業を辞めるための売却ではありませんでした。
長年かけて育てた事業という資産を、次の事業をつくるための資本へ転換するためのM&Aでした。
その会社そのものに企業価値を持たせる。最終的には、その企業価値をM&Aによって資本へ変える。そして、その資本を、次の事業へ再投資する。
これが、私が会社員時代から現在まで実践してきた事業成長の流れです。
現在、私はURVグローバルグループのオーナーCEOとして、国内外で複数の事業を経営しています。しかし、その原点にあったのは、20代で始めた小さな飲食事業でした。
最初から大きな会社をつくろうとしていたわけではありません。
一つの事業をつくる。
収益を出す。
その利益を使わずに残す。
次の事業へ再投資する。
人を採る。
権限を移す。
自分がいなくても動く仕組みをつくる。
この繰り返しです。
だから私は、現在、中小企業のオーナー経営者から相談を受ける際にも、教科書の経営論だけで話をすることはありません。
年商数千万円の会社で、社長自身が売上をつくらなければならない段階。
年商1億円を超え、人を採用しなければ成長できなくなる段階。
組織をつくり、経営者自身の仕事を社員へ移していく段階。
新規事業へ投資する段階。
M&Aや海外展開を検討する段階。
私自身が、事業家としてそれらの段階を経験してきたからです。
会社を成長させるうえで重要なのは、最初から完成した経営者であることではありません。
自分の会社の成長段階に合わせて、自分自身の役割を変えていくことです。
もし現在、年商3000万円、1億円、3億円と会社が成長し、
「この先、社長一人の力では会社を大きくできない」
「人を採用したが、組織として機能しない」
「利益を、次の成長投資へどう配分すべきかわからない」
「新規事業、M&A、海外展開など、次の成長戦略を考えたい」
と感じているのであれば、創業期とは違う経営へ切り替える時期に入っています。
私の経営コンサルティングでは、自ら事業を立ち上げ、組織化し、M&Aを経験し、その資本を次の事業へ再投資してきた経営実務を基礎に、オーナー経営者の次の成長段階を支援しています。
松本尚典の中小企業経営者支援コンサルティングサービス
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