簡単に水平を測る方法。簡単に直角を出す方法。
燕趙園散策
この燕趙園は、鳥取県が、梨つながりと云う事で姉妹県を提携した河北省とのご縁で、鳥取県東郷湖湖畔に出来た中国様式の庭園です。
民間ベースで無い為、実際に中国の職人が中国で仮組し、解体して日本に持ち運び、中国人技師指導の元、平成7年に竣工した本格的な中国様式の庭園です。
ですので、日本にありますが、民間のテーマパークの様な軽薄さが無く、細部に至るまで中国が再現されており、今私達が和風と考える様式のルーツを探る事が出来ます。日本人が中国様式をどの様に取り入れ、何を残し、何を廃したのかが良く分かります。
この燕趙園のモデルは北京郊外にある頤和園です。頤和園は清朝末期に西太后が別荘として建設した庭園です。
しかし、その頤和園にもモデルとした庭園があります。頤和園のモデルは中国は河南省にある、貴族の邸宅内にある庭園を模して、規模を大きくして北京郊外に再現したものとされています。
ですので、寒冷で乾燥した北京のイメージとは程遠い、水郷に佇む別荘郡を見る事が出来ます。湿潤で温暖な河南省は、河北省から見れば憧れの地だったのかも知れません。西太后は頤和園建設の為、昆明湖と云う人造湖を建設して、水辺を演出しています。
下の写真は頤和園の写真です。庭園の中の建物には、皇帝を象徴する黄色の瓦が用いられています。
因みに青い瓦は、天界を支配する天帝を象徴する色で、天帝を祀る建物に用いられます。
地上を支配する皇帝は地の色を表す黄色が用いて、宮殿がつくられました。他の貴族は黄色い瓦を用いる事が出来なかったそうです。
河南省にある、頤和園がモデルとした河南省の貴族の庭園の代表格である豫園は、黄色い瓦は使われておらず、素焼きの瓦が用いられています。貴族と云えども皇帝の権威を揺るがす様な事は出来なかったのです。また、皇帝の象徴である龍も、豫園のあちこちみ見る事が出来ますが、指の数が少なかったり皇帝よりも、一歩下がった気遣いを見せています。
河南省の中国式庭園は、池のほとりに建物群を配置し、その建物群を回廊でつなぎ、建物を周遊しながら、異なる赴きの庭や池を楽しむと云うものです。
雨の多い湿潤な気候の為、傘無しで周遊できるように、回廊が発達したのでしょうが、乾燥した雨の少ない北京郊外の頤和園でも、この回廊が踏襲されています。事情を知らない河北省育ちの人が突然、この庭園を見たら、回廊に違和感を覚えたでしょう。
建築様式は気候風土に根ざします。その気候風土が建築様式を育み、その環境に相応しい美しさとなって現れます。頤和園はその気候風土そのものを作り変えて、東京ドーム62個分に相当する巨大人造湖を出現させてまで、河南省を河北省に持って来たかったのでしょう。
燕趙園も、その頤和園の流れを汲み、東郷湖を借景にして水辺に佇んでいます。
その為、燕趙園の瓦も頤和園と同じ黄色をしています。北京郊外ではあまり役に立たないと思われる回廊も、雨の多い日本に来れば、それなりの意味が見えて来ます。雨の多い地方での黄色い瓦は、中国では存在せず、日本に来て初めて存在すると云うのも何か変ですね^^
昔の日本人は、中国に何を学び、何を嫌って、今ある和風様式を築いていったのでしょうか。
和風と中国風を対比させることにより、見えて来る様式の移り変わりや、時代の変遷は、建築の美しさを考える上で非常に興味深いものがあります。