秀光ビルドが工事の「見える化」を宣言しました
良い家とはどんな家なのでしょうか?
良い家の定義は人によって色々なのですが、安くて性能が良いだけで満足されるなら、安いハウスメーカーでも一定品質の家は建てて頂けると思います。
でも家の良さは、安くて性能が良いだけでは決まりません。本当に良い家は一度造ってしまえば、何世代にも渡って暮らし続ける事の家を指すのだと私は考えています。
人にはライフサイクルがあり、その時々を家族にちゃんとフィットしながら、家族に愛され、家族に喜んで貰える様な家が良い家だと考えています。
安い高いを問わず、大手の規格住宅に、ハード面での耐久性を追求する能力はあっても、ソフト面で経年のライフサイクルに対応出来る家造りの思想があるとは思えないのです。つまり、30年もすれば、まだ住めるのに、新しい家に比べ陳腐になってしまい、飽きられて次の世代の人に建て替えられる運命にある家しか造っていない様に思えます。
このことは住まう人の意識にも責任があります、木造の家はローンが終わる頃には住めなくなると云う固定観念がある様に思います。
古くなったら建て替えてしまう風潮が根強く残っています。高級なハウスメーカーさんは、そのブランド力が建物寿命を安いハウスメーカーさんよりも若干伸ばしている様には思いますが、早晩飽きられて建て替えられてしまうでしょう。
京都の嵐山に「落柿舎」と云う民家があります。この家は豪邸でも社寺仏閣でもないのに、250年以上の風雪に耐えています。特に高級な材料と使っている訳ではありません。歴史の教科書に出てくる様な超有名な歴史的建造物でもありません。松尾芭蕉の門人の向井去来と云う人の閑居です。
それでも、これだけの長期間、建物が残ったのは、この落柿舎と云う建物がその地域の風土と一体となって、尚且つ向井去来を慕う人に愛されたから何代にも渡り手入れされ続けて、今に残ったのだと私は考えています。
これは、お金や工法の問題ではありません。家造りの思想の問題です。安い材料ばかりで造っても、思想がしっかりしていれば、人に愛され続ける家は造れると私は考えています。
人に愛され続けられる家であれば、最初の世代は住宅ローンに苦しんでも、次の世代は住宅ローンの返済に追われる事無く余暇や文化的な方面にお金を回す事が出来ます。次の世代にその有難味を伝えられるような家が良い家ではないでしょうか。