大阪の地盤

福味健治

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テーマ:【カフェテラス】

南から伸びる細長い半島の先に立っています。北を見れば海峡で、遥か遠くに山並みが見えます。東は入り江になっていて葦が生茂っています。干潮時には干潟になるのでしょう。餌を求めて千鳥の群れが飛んでいるのも見えます。西側に目をやると干潟の向こうに幾つも小さな島が浮かびそのまま海につながっています。さてここは何処でしょう。

答えは、2000年ほど後に豊臣秀吉が大阪城を築城する上町台地の北端です。

その頃は、大阪平野はまだ無く、大阪湾が上町台地の東側にまで回りこんでいて、河内湖と云う汽水域を形成していました。平野区の長吉六反の縄文遺跡からは干潟を歩いた縄文人の足形が出土しています。
上町台地の直ぐ下から生駒山の麓まで南は長吉六反辺りまでの広大な汽水湖です。それが、大和川が運ぶ土砂によって徐々に堆積し、平野を形成していきました。当時の大和川は今とは違い、石川と合流した後、生駒山の麓を北上し寝屋川につながっていました。今の長瀬川の川筋に近いところを流れていたようです。東大阪市には川中と云う南北に細長い知名が残っていますが、そこが昔の大和川だったようです。
上町台地の北側は、京都から淀川が流れていますが、これも当時は川と云うより海の一部です。陸が見えるのは山崎辺りから茨木の中央部分を通り、豊中の庄内を経て尼崎の稲野辺りが当時の海岸線だったと言われています。
上町台地の西側は住吉神社以北は殆ど海でした。福島・四貫島等々島のつく知名が数多く残っていますが、その昔は実際に島だったのです。

2000年経っていても、土砂が堆積した地盤は丈夫とは云えません。小さな池に石を投げると、水面を波紋が何度も行き交う様に、柔らかい地盤は何度も地震波が襲います。同じ地震でも堅い地盤と柔らかい地盤では、揺れている時間が異なるのです。
平野部で家を建てる時は、必要以上に地盤に気を使う事が丈夫な家を建てる条件となります。

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福味健治(一級建築士)

岡田一級建築士事務所

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