ローコストなエコの家の7年後
住まいを求める人を見ていると、二つのタイプに分かれます。一つは建築と云う不可解なものに対して、初めから理解出来ないと理解することを諦め、専門家に身を委ねる人と、もう一つは、判らないまでも自分で納得されて物事をステップバイステップで進められる方です。
この二つのタイプは言い換えますと、宗教を信じるか、哲学するかどちらの道を選択するかに似ています。どちらの方法も、最終目標は心の安寧です。どの様な境遇にあっても自分の心の中に救いを求め心の安寧を計る事を目的としています。
宗教は絶対的な神がいて、その神に無心に祈ることからはじまります。神の教えは絶対ですから、心に迷いがありません。その神を信仰さえしていれば、いつも心は穏やかでいられます。但しその神がオウムであっても信仰しているうちは良い悪いの判断が出来ません。良い宗教に出会うと天国に導いてくれますが、悪い宗教に当たると地獄の底まで付き合わなければなりません。
哲学は全て自己完結です。真理を見極め、事象を理解し、反省を重ね一歩づつ前へ進みます。迷いながら考えながら前へ進むのが哲学です。幸福への過程で何度も失敗をしますが大きな失敗はしません。常に反省するからです。哲学は反省に始まり反省に終わると西周(にしあまね)は云っています。天国への道筋は果てしない無限の道ですが、地獄へ行くことはありません。
人の行動規範は大別すれば、この二つに分かれます。このどちらかに傾倒しないと、人は前へは進めないのです。
「営業さんがとても良い人で、親切に対応してくれたのがとても気に入った」とかの理由でビルダーを決められる方は宗教を信じる様な発想で選ばれています。
家そのものの、性能を判らないなりに、自分で理解しようと努め、耐震性や温熱性能の勉強から始める人は哲学的発想で家を造ろうとしています。
物事を選択するとき、宗教家か哲学かどちらかの道を選択することになります。そうでないと前へは進めません。
ハウスメーカーの家を気に入りながら、悪い噂を聞いてしまうと前へ進めません。
これは宗教的な発想で気に入ってしまっても、哲学的な探求の要素が芽生えた為、どちらにも行けない状態となっているのです。
打開策はどちらか一方を選択することです。
闇雲に宗教を信じるのも方法です。但しその際は周囲の雑音を気にすれば不幸になります。悪い噂に何か根拠あるのでしょうか?根拠がなければ宗教を信じる貴方には悪魔の囁きです。
自分で真理を見極めると哲学の道を歩むのも方法です。その際はハウスメーカー営業マンのセールストークや親切応対は無視して、客観的にそのメーカーの性能を見極める努力が必要です。その為には建築に関して最低限自分に関係のある処は、邪魔くさがらずに、勉強する必要があります。
http://www.jin.ne.jp/oado/benkyou.html
そう云った道を歩まれる人の為に、住まい講座を開設しています。
申し込んで勉強してください。長く遠い道のりですが、地獄に落ちることはありません。