ローコストなエコの家の7年後
【コミコミ1000万円の家は安いか高いか】
新聞広告やインターネットの広告で「コミコミ1000万円の家」と云うキャッチフレーズの住宅広告を良く見かけるようになりました。ビルダーとしてはそれなりに一生懸命頑張った金額だと思います。しかし、高いか安いかと問われれば、チラシを見る限り安いとは思えません。
【努力は充分に判るんですが】
確かに、2000万円の家と比べれば、1000万円の家でもお風呂も、トイレも、キッチンも付いていますから、安そうに思えます。値段を落とすため、住設機器メーカーと相当値交渉をされたでしょう。建材メーカーとの折衝も大変なものだったと思います。人件費を削減する為間取りも贅肉は全て削ぎ落とす努力もしたでしょう。値段を削減するための手段として、仕様の統一や標準化をはかるでしょう。
【ローンが残っている間に無価値になります】
ただ、そこにはコスト削減のみが最優先課題となって、住む人の思い入れやこだわりが入る余地がありません。また、本来は建てる場所や地域特性に合わせて使用する材料を選定すべきものが、これも全て統一化された仕様での建設となってしまいます。
どこにでもある普通の家は、新しいうちは綺麗ですが古くなるとどんどん価値が下がってしまうのです。ローンも返済出来ていないのに無価値になってしまう家が本当に安いのでしょうか?
これでは安い家を買ったのではなく、ただの安普請を掴まされてしまったのと同じです。
【価値の下がらない家を造るには】
人が造るモノは、命の無いモノの悲しさで、家にしても車にしても、出来上がった瞬間が最も美しく、機能的で性能が良いのです。その後はどんどんと古くなり性能が落ちていきます。
それでは、価値が下がらないモノは、人の力では造れないのでしょうか?実は造れます。
有名な絵画や壷は出来上がった当初よりも、古いモノの方が価値が上がります。美術品にこだわらなくても、古いジーパンなんかでもビンテージ物が珍重されています。車でも初代のフェアレディーZやユーノスロードスターなどは、根強いファンを持っています。
出来た当初は、そんなに価値の無かったものでも年代を経るにつれて価値が高まるものもあるのです。その本質は一体何でしょう。私は文化だと考えます。文化とは多くの人が共有する価値観や美意識です。
【それは値段や素材に関係なく、どれだけ多くの人が共感するかで決まります】
高級品な素材を集めて贅を尽くしていなくても、多くの人に共感されたなら、価値は下がりません。京都の嵯峨野に落柿舎と云う古民家があります。300年以上前の家ですが長く人々に愛され続けています。松尾芭蕉の門人で向井去来と云う人の別宅でしたが、向井去来を慕う人や嵯峨野を愛する人に、この落柿舎は愛され続けました。もうこの家は価格では表せない無限の価値を持った家になっています。落柿舎そのものは決して贅沢な造りではありません。
【家は住む人と、気候風土に寄り添わせることで価値が上がります】
造り手の論理でコストダウンを図ると、住む人の思い入れも、建てる場所の地域性も無視されてしまい、価値のある家を造ることが出来ません。
家は、住まう人の思い入れと、その土地の気候風土に根ざす事を忘れてはなりません。
住まう人の思い入れが、その家に愛着を沸かせ、その愛着が人々の共感を呼び、自然に逆らわずその気候風土にマッチさせることが、その家を長持ちさせるのです。
それはその地域の文化となり、共通の価値観を持つ人の支持を得ることとなるでしょう。