食博の歩き方
先日、京都嵯峨野の落柿舎を35年振りに尋ねました。私が学生時代に先輩から「300年前に建った家があるから見て来い」と云われて見に行った建物です。落柿舎は、松尾芭蕉の門人、向井去来の閑居で当時の庶民の住居の佇まいを良く残しています。
決して贅沢な造りではありません。屋根は当時庶民まで普及し始めた瓦屋根ではなく、藁葺き屋根です。壁も漆喰壁ではなく土塗りの荒壁のままです。柱に至っては今で言う間伐材です。学生だった私は、この家が何故300年間も壊れず、壊されず今まで残ったのか理解出来ませんでした。
今回尋ねて、何故この家が残ったのか判る気がしました。嵯峨野と云う風土、向井去来と云う人物が落柿舎と符合しているのです。その土地にだけ合う家、その人にだけ合う家が、嵯峨野を愛する人に愛され、向井去来を慕う人に愛されたのです。だからこそ300年の風雪に耐えられたのです。
繰り返しますが、決して贅沢な家ではありません。当時なら何処にでもある普通の家だったでしょう。
大量生産する家にもそれなりの良さがありますが、建てる側の論理で構築された家は、貴方を愛していません。同じお金を掛けるなら家に愛され、自分も家を愛せる家造りを目指してください。そうでないと、月々のローン返済が重荷になります。