プロに任せておけば良いの嘘
所用で大阪府庁へ行った際、昼食を大阪城のベンチで食べます。
添付の写真はその大阪城の外堀です。今の大阪城の南の端
にある堀です。
上町台地の北端にある大阪城は北に淀川、東は寝屋川と
それに伴う低地、西側は堀を巡らした城下町となっており、
攻めるとすれば唯一南側が無防備な状態です。
南から攻めてきた敵をこの堀が迎え撃つのです。
ところがこの外堀、秀吉時代にはここに大手門が築かれ、
城内に簡単に入れてしまった事が遺跡や文献から明らかに
なっています。なんと大胆な城の構えでしょう^^
それもそのはず、秀吉時代にはこの位置にある堀は内堀だ
ったのです。豊臣時代の大阪城は今ある大阪城の数倍の規模で築かれていました。
NHKの天地人で年末に最後の山場となった大阪の陣ですが、
冬の陣では徳川方を完膚なきまでに叩きのめした真田幸村が
立て籠もったとされる真田郭は、この地より4KMほどまだ
南側にあったのですから、ここまで入り込めると想定され
ていなかったのも当然です。
夏の陣以降徳川家康の手によって再建されて今の様な城郭
になった大阪城ですが、豊臣時代の大阪城がどれほど壮大
で華麗であったか、この地に来るたびに夢想にふけってしまうのです。