『良寛さん』 ・・ゆかりの里
おはようございます。 '' 金山町 ,, 良いとこ…「人づくり」はまず社会への進出の大きな育成であり
「基本姿勢」という試みを感じます。
さてさて、昨日の続きですが、「アイデア町長は何に挑戦したのだろう?」!
逆提案とは?
岸町長は新しい幼稚園に挑戦を挑んだ!
千葉県の我孫子市で「めばえ幼稚園」という有名幼稚園を開いている牧師さんを紹介され、早速、町を見てもらった。
「山紫水明」のこの土地が気に入ったんですね。二つ返事で引き受けてもらえました。」
町では500万円の予算を組み、土地の手配などの援助をしました。(あの頃の500万円は相当な額)
翌年(昭和51年)開演となったのですが、私は一つの注文をつけました。(町長自ら)
東京弁をしゃべる先生を一人入れてください!
金山衆だけでやっていたんでは、子供は伸びないからです。
また、我孫子の園児との交流もお願いしました。
東京弁をしゃべる先生は一年だけで結婚のため帰ってしまったが、代わりに、園長の息子夫婦が
金山町に来て住みついてくれた。
この夫婦はロンドン帰りで、世界を見てきた目で園児たちの教育にあたっている。
こうして、小さな町でも、次の世代に「夢や希望」を与えることはあの時代しなんの試みであっただろうと、わたくしは思います。
実際、わたくしも田舎の出身が「英語」を学びたい!といったら・・
「英語」で就職することなど無理な時代であった。現実は遠かった時代であった。
しかし、事実わたくし自身も葛藤の時代であった!しかし、英語で通用しなかったが、先生によって
わたくしが興味をもち、好きになり英語教育には「夢や希望」を与えてもらえました。
専門にはつけなかったが、「役に立てた仕事」もできたように思えます。
♡ また、県外に就職した時に、やはり「言葉の壁」には奔騰したのも事実ありました。
逆に「地方弁」とは、わたくしにとって忘れられない気持ちのスイッチであり
とても今は「心地よい」原点であるようにこのごろはありがたく思います。
そして、「山形出身ですよ!わたくしは!」と変わりなく誇りをもっております。
本日も、学ぶ生徒が待っております。学ぶ気持ちは「人の器を大きくします」!それでは…♡また!